儚くも尊きもの





 ――――とにかく目の前を埋め尽くすのは、朱、紅、緋色――。
 燃え上がる赤い炎だった。
 あの刻に死ぬほど理解した。
 自分や、自分と『同じ』者達は、怪我を負おうが死のうが――お構い無しだと。
 それが世間で、常識で、現状で。
『貴族』ではない自分達ではどうしようもない世の中なのだと、悟った。
 けれど――。
「……まずかったよなぁ…やっぱり」
 陽の光が射し込まない曇り空の下。
 ほぼ毎朝の日課となった道を歩きながら、炎のような赤い髪をした頭を掻いて、僧兵見習いの少年はつぶやいた。





 ――つい先日のことだ。
 いつものように星の姫の館へやってくると、天の玄武である青年に出会った。
 同じ院側の八葉の仲間であり、式部大輔――貴族でもある、源 泉水。
「イサト殿は、いつ御仏に帰依されるおつもりなのですか?」
 簡単に朝の挨拶を交わし終えると、泉水が訊ねた。
「わかんねぇよ」
 イサトは視線を逸らして、曖昧に答える。
「早い方がよろしいかと思います」
 楝色の瞳を柔らかく細めて、天の玄武は微笑んだ。
 彼に悪気も邪気もないことは、イサトも解っている。
 けれど、その微笑はイサトの心を苛立ちへと導かせた。
 その後も「仏門に帰依できるイサト殿が、本当に羨ましいのです」と続けられる。
 ――――別に、泉水が嫌いだという訳では無い。
 貴族なのに威張ることなど微塵も無いし、いい奴だと思う。
 だが、なぜそんなことを訊いてくるのか、仏門にこだわるのかが解らなくて。
 今のイサトは、僧兵見習いとして寺に世話にはなっていても、もはや自分が何を信じたらいいのか解らない状態で。
 そして、やはり彼が『貴族』なのだと思う自分が心のどこかにあって――。
「何でオレに坊さんになれだなんて言うんだよ!? なりたきゃ勝手になりやがれ!」
 彼が――泉水が出家できずにいる理由を知らないイサトは、そう言い返した。
「す、すみません……」
 案の定というか、予想通り泉水が謝ってくると、どういうわけか龍神の神子である少女――が飛んできた。
 話をしていた場所が紫姫の館の庭だったのだから、不思議という訳ではないが。
「イサトくん、泉水さん、一体どうしたの?」
 一部始終しか聞いてないが、そう訊ねてくるのも当然だ。
「……お前には関係ない」
 しかしイサトは、胸中を埋め尽くす複雑な思いを、この少女に説明しようなどという気にはなれなかった。
 面倒くさいし、ややこしいし――何となく、情けない。
 こうなった自分は、周りの者を傷つけることしか出来ない。
 振り切るように、イサトは紫姫の館を飛び出した。



 京の洛西に位置する、蚕ノ社。
 秋風に赤い髪を靡かせて、天の朱雀は走ってきた。
 一本の木立に近寄ると、苛立つ思いのままに、握りしめた自身の手のひらを幹に打ちつけた。
「……何やってんだ、オレ……」
 軽く呼吸を整えながら、つぶやく。
 ――よみがえるのは、傷ついた顔をした泉水と、
 泉水とが何をしたというのか。
 確かに泉水は、自分にとって不快になることを口にした。
 けれどもそれは、彼がイサトの事情を知らなかったのだから、仕方のないことだ。
 もっと他にも言いようがあったはずだった。
 そして――は、ただ驚いて、心配して訊ねてきただけだ。
「ちくしょう……カッコ悪ぃ……」
 いつもこんな自分が嫌になる。
 秋とはいえ、肌寒い空気の中を全力疾走してきたイサトの頬が、段々と冷たさを痛感し始めた。
「――イサトくん」
 その刻ふいに、後ろから聴き慣れた声で名を呼ばれた。
「なっ、…っ!? お前、何でここに?」
 驚いて振り返ると、龍神の神子が大きく肩を上下させて息を整えていた。
「何でって……後を追いかけてきたんだよ。イサトくんのこと、心配だったから」
 ふぅ、と大きく深呼吸をして、は笑顔を見せた。
「マジかよ……」
 イサトは心底驚いたが、少し考えて――。
「……なぁ、。お前さ、前に、オレのこと知りたいって言ってたよな?」
「う、うん」
 こくりと頷く
 胸中を解らないことだらけで渦巻かせるよりも――と、イサトはいい機会だとも思って、に話をした。
 過去から今現在に至る、数々の思いを。

 八年前に大火に遭ったこと。
 そのせいでたくさんの人が死んでしまったこと。
 それをきっかけに家族ごと寺に世話になるようになったこと。
 自分の思っていること、感じていることを、すべて話した。
 今現在の『京』と『自分』の状態を――。

「火事だけじゃねぇよ。夜盗に殺されちまったり、急に病気になって死んじまったり――人なんて簡単に死んじまう」
 虚ろな瞳をして言葉を紡いだイサトは、の瞳が凍りついたのに気づかずにいた。
「こんな末法の世で……オレもいつ死んじまうかわからねぇ」
 そう言ってやり切れない思いを抱えると、
「……そんなこと言っても、何にもならないよ」
 は静かに厳しい声で言った。
 そんな彼女に、イサトは「わかってねぇな」と返す。
「所詮人間なんて、生まれた時から死に向かって歩いてるんだ。死ぬために生まれて、死んだ奴を弔うためだけに生きる……そんな気がするんだ」
 視線を虚空に彷徨わせたイサトのその言葉は、の『限界』を突き抜けた。
「そんなの……そんなの悲しすぎるよ…! 私、イサトくんが死んじゃったら嫌…!」
 ひとかけらの希望も感じられない『生き方』に、は堪らなくなって涙を零した。
「バ、バカ、そんなことで泣くなよ」
 何気なく正直な思いを言っただけで、まさか泣くとは思ってなかったイサトは、慌てて言う。
「ごめん……」
 珊瑚色の髪の少女は、懸命に目元を拭った。


 ――そのあと一応謝ったし、何とか話もおさまった。
 だがやはり、泣かせてしまったことに変わりは無い。
にあんなこと言うなんて……どうかしてたよな、ほんと」
 軽く自分の頭を小突いてつぶやく。
「そういやぁ、泉水にも悪かったよなぁ」
 もう謝ったけど、とも付け足しながら、イサトは胸中で独語した。





 あの日、を紫姫の館まで送り届けたあと、イサトは泉水に謝りに行くことにした。
 しかし彼の家を訪ねたら、「外出していて留守」と言われてしまった。
 行き先を訊くと、泉水の家の者は「紫姫の館としか告げられていない」と答えた。
 脱力するのも束の間、イサトは泉水を探し回った。
 あてもなく、ただ闇雲にである。
「ど……どこ行ったんだよ、あいつ」
 院の勢力範囲とされる場所を走り回ったイサトは、巡り巡って糺の森にやってきた。
 連理の賢木と呼ばれる樹の幹に手をついて、一休みする。
「あ〜〜っ、もう、何やってんだよ、オレは!?」
 その日二度目となる台詞を、今度は思い切り叫んだ。

「同感だ。私も訊きたい」

「うわぁっ!?」
 突然背後から低い声が響いて、イサトは赤い双眸を見開いて驚いた。
「なっ、な、何だ、泰継かよ……っ!? おどかすなよな!」
 未だ驚きの衝撃で凪がない鼓動を、イサトは深呼吸で落ち着かせようとする。
 泉水の相方である陰陽師――地の玄武は、イサトの怒りの声などさらりと受け流した。
「私も訊きたい、と言ったのだ」
 泰継はただ問いかけただけで、彼を驚かしたつもりはないのだ。
「な、何をだよ?」
 自分の怒りがちっとも通じていないので、少々憮然としながら、イサトは訊き返す。
「お前は何をしている? イサト。先程からのお前の行動は、何をしたいのか、皆目見当がつかない」
 淡々とした泰継の声。
 イサトの中で、かぁっと熱いものが込み上げた。
「ほ、放っとけよ! 先程からって、いつから見てたんだよ!?」
「見ていたのではない。気で感じ取ったのだ」
 泰継にしてみれば、何やら落ち着かない天の朱雀の気が、京の町中を行ったり来たり、右往左往するので、不思議に思うのも無理はなかったのかもしれない。
(陰陽師って奴はぁ……!)
 イサトは思わず項垂れる。
 が、すぐに顔を上げて、背を向けた。
「お前に関係ないだろ。大体、お前なんかに解るかよ」
 ――まただ。
 口から滑り出た言葉と引き替えに、針に刺されるような胸の痛みが返ってくる。
 判っているはずなのに、どうして人を突き放すような、傷つけるような言葉を言ってしまうのか。
「解らないから訊いている」
 しかし――泰継には、傷ついた様子など無かった。
 揺らぎのない、琥珀と翡翠色の瞳。
 イサトは少々あっけにとられたように、ぽかんとしてしまう。
「そりゃ……そうだよな」
 軽く頭を掻いて、鶯色の髪を持つ陰陽師に向き直った。
「もう一度訊く。何をしていたのだ? 何かを捜していたのか?」
 泰継なりに一応、イサトの行動の予想はしていたようだ。
「……ああ」
 その通りなので、頷く。
「何を捜していたのだ?」
 この問いには、暫しの沈黙を持ってしまった。
「……泉水だよ」
「泉水を?」
「どうして捜してるのかは、訊くなよ。ちょっと……話があるだけだ」
 さすがにその内容までは言いたくない。
 泰継の表情は特に変わらなかったが、「そうか」と、どうやら納得したようだ。
「泉水なら、羅城門跡に居る」
「――え、えぇ!? 何で知ってんだ? 会ったのか?」
「気で判る」
 あっさりきっぱりと返ってきた答えに、イサトはまたも項垂れる。
 ――今度から人を捜す時は、泰継に訊いてからにしよう。
 無言のうちに、イサトは心の中で思った。
「ん……? 羅城門跡?」
 はたと、イサトは瞳を見開いて繰り返す。
 間髪入れずに、泰継は「そうだ」と短く肯定した。
「……あんなところに、何の用があるんだよ――っ!?」
 京の人もほとんど好んで訪れようとしない、荒れ果てた場所。
 決して治安の面もよいとは言えない場所だ。
 何だか嫌な予感がして、イサトは洛南に向かって走り出した。




 かつては立派な門だったであろう、その場所。
 崩れ落ちた廃墟を、冷たい風が虚しく吹き抜けてゆく。
 長い楝色の髪を靡かせながら、同色の双眸を持つ青年は、繊細な顔立ちを哀しげに翳らせた。
「泉水――っ!!」
 遠くから、大きくてよく通る声で名を呼ばれた青年は、驚いて振り向く。
「イサト…殿……?」
 見間違えるはずのない、赤い炎色の長い髪を持つ少年。
 全力で走ってきた天の朱雀は、少し屈んで、両手を自身の膝に置き、肩どころではなく、身体全体を上下させる。
「ど、どうなさったのですか……?」
 荒くなった息を整えようとしているイサトに、泉水はおろおろとしながらも、不思議そうに訊ねた。
「それは、こっちの、言葉だ…! 一体、こんなところに、何しに来たんだよ……っ?」
 整いきらない呼吸と共に、途切れ途切れになる言葉。
 天の玄武は、楝色の瞳をぱちくりと瞬かせる。
「私は……あの、ここに、天に還れず悲しんでおられる不憫な霊がいらっしゃったので、何とか成仏できるよう、お手伝いを……」
 戸惑いながら話す泉水の声を聴いていたイサトは――脱力して肩を落とし、べたっと地面に座り込んだ。
「あ、あの、イサト殿……!?」
 イサトが具合でも悪くなったのかと思って、泉水は慌てた。
「あ〜ぁ、ったく……心配させんなよな」
「え? イサト殿が……私を?」
「その、だから……オレがあんな言い方しちまったから」
 傷つきやすい彼のことだから、ショックを受けて――羅城門跡に居ると聞いて、極端な話、世を儚むようなことをしてしまうのではと思ったのだ。
 イサトは決まりの悪そうな顔をして、視線を逸らす。
 暫し大きな瞬きを繰り返していた泉水は、彼の言いたいことを察した。
「いいえ、どうぞ、お気になさらず。イサト殿のお気持ちを考えずに不用意なことを言ってしまった、私が悪いのです」
 微笑んでさらりと言われて、イサトは言葉を失う。
「配慮が至らず、本当に申し訳ありませんでした」
 深々と、泉水は謝りの言葉を紡いだ。
 イサトは「お前が謝るなよ!」と、遮るように言う。
「オレがここまで何しに来たか、わかんなくなるじゃねぇか」
「え? あの、それは……?」
 どういうことですか――と、泉水は訊ねたかった。
「事情を知らなかったとはいえ、あんな言い方しちまって、悪かった」
「イサト殿……」
 泉水の紫の水晶のような瞳が、一度見開かれて、やがて柔らかな色をたたえた。
「いえ、あの、本当にお気になさらないで下さい。本来、そのようなお言葉をかけて頂ける価値すら無い身ですから」
「お前……何言ってんだ?」
 微笑みながら自分を卑下する泉水を、イサトは理解できなかった。
「え? あ、あの、私は本当に物の数にもならぬ身ですから。母上にもよく言われております」
 それがずっと当たり前だった泉水。
 自然と出てきた言葉だったから、訊き返されて少し戸惑ってしまう。
「ほんっとにお前って、変わった貴族だよな」
「す、すみません……」
 イサトが苦笑するように笑って言うと、泉水はまた謝った。
 謙虚なのは彼の美点だが、何でも悪い方に捉えがちなのは、いささか欠点でもあるのかもしれない。
「謝るな、悪い意味で言ったんじゃねぇよ。オレが嫌いな奴らよりは、ずっといいって言ってんだ」
「そ、そうなのですか?」
 イサトは「ああ」と、明るく笑って頷いてやる。
「……ありがとうございます、イサト殿」
 心底嬉しそうに、泉水は微笑んだ。
「あの、このためにわざわざ来て下さったのですか?」
 ふと湧いたそれを、天の朱雀に問いかける。
「ああ。最初はお前がどこに行ったのか判らなかったんだけど、途中糺の森で泰継に会ってよ。あいつ、すげぇよな。オレ達がどこに居るか、『気で判る』んだってさ」
 イサトがそう説明すると、泉水は「あぁ…」と納得したようだ。
「それで、泰継殿もご一緒なのですね」
「ああ――って、えぇ!?」
 成り行きで頷きかけたが、イサトは驚いた。
 泉水が視線を向ける方を振り向いてみると、本当に自分の隣りには、無表情の地の玄武が佇んでいる。
「や、泰継っ、お前、いつからそこに……!?」
 今の今まで全然気づかなかった。
 イサトは危うく腰を抜かしそうになる。
「話は済んだのか」
 そんなイサトの心境など、泰継は気にもとめていない。
「え? あ、あぁ……」
 やはりまた憮然としながら、イサトは頷く。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。イサト殿、泰継殿。それから……ありがとうございました」
 片や無表情の地の玄武、片や憮然とした天の朱雀。
 微妙な視線を交わし合っている二人に、天の玄武は謝りと礼の言葉を、微笑みと共に零した。



「本当にあいつらって、妙な奴らだよな」
 貴族である泉水と、陰陽師である泰継。
 天地の玄武は、八葉中一番高い霊力を誇っているからか、揃って浮世離れしているような――独特の雰囲気を漂わせていると思う。
「……まぁ、みんなそうか」
 自分を含めた個性豊かな八葉の面々を思い浮かべて、イサトは言い直した。
 そんなことを考えているうちに、イサトの足はいつの間にか星の姫の館にたどり着いていた。




「あ、おはよう、イサトくん」
「お…おう」
 紫姫に通されての部屋へ来ると、彼女はいつもと変わらない笑顔で挨拶をしてくれた。
「あのね、今日は彰紋くん、お仕事で来られないんだって」
 ぎこちない様子のイサトに、は気づいているのか否か――しかしそう話す彼女は、やはり普段の通りに感じられた。
「彰紋が来られねぇって…じゃぁ、今日はどうすんだ?」
 今は南の札を手に入れる行動をしているため、イサトはそう訊き返す。
 軍茶利明王から出された課題は、彰紋――地の朱雀の分を残すのみなのだ。
「うん、それでさっきから考えてたんだけど…彰紋くんの課題で行くべき場所って随心院でしょ? だから、そこの怨霊を祓いに行こうかなって思って」
「そっか……そうだな。んじゃ、行くか」
「うん!」
 彰紋は東宮という立場上、こなさなければならない事が山ほどあるのだろう。
 それを理解しているつもりなの提案に、イサトは素直に納得して、共に出かけることにした。




「……ねぇ、イサトくん」
 随心院までの道中、館を出て以来続く沈黙を破るべくがイサトに呼びかけた。
「何だ?」
「えっと…お兄さん達とかは元気なの?」
「ああ。兄貴達はもう立派な僧兵だからな。オレなんかよりよっぽど寺の役に立ってるぜ」
「そ、そう……」
 ――それしか答えられないは、またも始まった沈黙にどうしたら良いか解らなくなって俯いた。
(ど…どうしよぉ、続かないよ…!)
 やはりなりに、この間のことを気にしていた。
 朝は普段通りに振る舞ったつもりだったが、こうもふたりきりになると続かない。
 こういう時に限って、他の八葉が来れなかったのだ。
 彰紋と同様の理由――おそらく宮中行事ではないだろうか。
 そうなると彰紋を筆頭に、幸鷹、泉水は当然、場合によっては頼忠、勝真、泰継も来られないだろう。
 翡翠あたりは来てもいいような気がするが……西の札を手に入れ終えたばかりだから、羽根を伸ばしているのかもしれない。
 とにかく各々の理由で、今日はイサトと行動を共にすることになったのだ。
 イサトに至っても、に対してどうしたら良いか解らないらしく。
 ふたりを包む雰囲気を表すかのような、一向に晴れない灰色の空。
 普段から遠いと思っていた随心院への道のりが、今日、には更に遠く感じられた。




 ――天の朱雀と龍神の神子が随心院に辿り着くなり、そこに巣くう怨霊・文車妖妃が現れた。
 長き白髪を揺らすその後ろには、禍々しい炎の気が漂っている。
「出やがったな、怨霊!」
 赤い双眸を強く向けたイサトは黒い錫杖を構え、の前に立つ。
「行くぜ、! こんな奴、術使ってさっさと倒しちまおうぜ!」
「う、うん…って、倒しちゃ駄目だよ! 封印しなきゃ!」
 頷きかけたがそう言い直すと、「そうだったっけ」と大事なそれをイサトもようやく思い出した。
 と、文車妖妃から妖しく揺れる炎の気が放たれた。
っ!」
 術となったそれは、を庇った天の朱雀の身に降りかかる。
「イサトくん!?」
「大丈夫だ、これくらい……――っ!?」
 案じてくれるにそう答えかけた刻、イサトは自分の身の変化に気づいた。
 ――何かがイサトの身体を蝕み始めている。
 思うように身体に力が入らない…!
 そう思った、次の瞬間――イサトの両手が錫杖を掴んだ。
 そして後ろに庇っているの方へと、向く――。
「何だ……何だよこれ…!?」
 困惑した表情でイサトが呟くと、も「イサトくん…?」と動揺する。
「…っ!! ! 避けろ!!」
 自分の身に起こったことと、自分の両腕が振り下ろされるのを感じたイサトが叫んだ。
 は一瞬戸惑ったが、イサトのただならない状態に、彼の身に起こったことを理解し
た。

 今、イサトの身は――『混乱』という穢れを受けている――!

 刹那、イサトの錫杖から放たれた火の気を、は何とか避けることが出来た。
 イサトが何とか、から逸らそうと試みた結果でもある。
 だがイサトの身体は本人の意志とは全く無関係に、次の攻撃を放とうとする。
「ちくしょう…! っ、逃げろ! オレの前から早くっ!!」
 怨霊の高笑いが聴こえる中、イサトはに叫んだ。
 しかし、に逃げる様子は見られない。
「そんなこと出来ないよ! 待ってて、今祓うから…!」
 それどころか、イサトの身に降りかかった穢れを祓うべく撫物の札を手にする。
 が、再び繰り出された黒き錫杖からの攻撃に阻まれ、上手くいかない。
「やめろ……! もうやめてくれ! 逃げてくれっ!!」
 先程よりも段々と身体が自分の意志を聞かなくなっていくのを感じたイサトは、悔しさに満ちた表情で強く叫んだ。
 ――守ってやるって言ったのに――!
 自分の無力さを噛み締めずにはいられない。
 は未だイサトの穢れを祓おうと、攻撃に翻弄されながらもその機を窺っている。
(何でだよ………何でそんなに…!)
 懸命な瞳をしているに、イサトは胸中で問いかける。
(何でそんなにまでするんだよ……!?)

「無駄かどうか、やってみなきゃわからないと思う」

 その刻、イサトの脳裏にの言葉が響いた。
(無駄じゃない……?)



 ――蚕ノ社で。
 がようやく泣きやみ、自分の頭も冷えた刻。
 ボロボロの羅城門跡でそう言われたのを思い出したイサトは、に訊ねた。
「何でそんなこと言えるんだ?」
「うーん……信じてるから、かな」
 がそう答えると、イサトは少し自嘲するような表情になる。
「信じる、か……坊主達も『仏と浄土を信じろ』って、よく言ってるよ。でもオレは、そんな死んじまってからの世界のことなんて、よくわからねぇ。――オレは……何を信じたらいいってんだ…」
 再び瞳を虚ろにし、顔を俯かせ呟くと、
「イサトくん自身じゃないかな」
 はそう言った。
 そして――。

「――私は、イサトくんを信じるよ」

 が今までも、今も頑張っているのは『信じて』いるから。
 自分と、そしてイサトを――。


「――――っ!!」
 その瞬間、イサトは思いを爆風の如く解き放った。
 死に物狂いで力を出し切り、錫杖を手放す。
「イサトくん…!?」
 と、文車妖妃もそれに驚いた。
 イサトはギッと文車妖妃を睨みつける。

は絶対に傷つけさせねぇ……絶対にオレが守るっ!!」

 揺るぎ無い強さを秘めた赤い双眸を開いて、イサトは両手で自身の身を掴む。
 その瞬間――は、自分の中から五行の力が放出されていくのを感じた。
「イサトくん!?」
 まさか――と思った刻は遅かった。

『浄化の炎よ、焼き払え! 炎気浄化!!』

 力強い声と共に発せられた赤き炎が、天の朱雀の身を包み上げた。
 はその信じられない光景に、大きく瞳を見開く。
「いっ……イサトく――――んッ!!」
 悲痛に満ちた涙声を、京の空まで木霊させた。
 すると――灰色の空を稲妻が疾る。
 それは龍神の導きによるものなのだろうか。
 の涙声に呼応するかのように、京の空から篠突く雨が降り始めた……。
 ――慈雨に消えていくイサトの炎。
 自分の身にかかっていた穢れを祓ったイサトは、薄い蒸気をその身から立ち上らせて、どさっとその場に倒れ込んだ。
「イサトくん!」
 が彼の元へ駆け寄ろうとした刻、文車妖妃の悲鳴が上がった。
 イサトの放った炎は同時に瘴気となって、文車妖妃にまで及んでいたのだ。
(まず封印しなきゃ…!)
 イサトの努力に報いるためにもと、は苦しむ文車妖妃の前に立つ。

『めぐれ天の声、響け地の声――彼のものを封ぜよ!』

 京を巡る龍脈が、龍神の神子の声に応える。
 白銀に輝く天地四方の陣に――怨霊・文車妖妃を封じた――。



 舞い落ちてくる文車妖妃の札をひったくるように取り、懐にしまったはイサトのもとへ走った。
「イサトくん!!」
「……おう…やったみたいだな」
 ゆっくりと起きあがり、力無く笑むイサト。
「イサトく……イサトくん…っ!!」
 は、空から降り注ぐのとは違う大粒の雫を黄緑色の瞳から零し、上半身だけ起こしたイサトに抱きついた。
「何で……何であんな無茶したの…!? 私…ほんとに……イサトくんが……し…死んじゃうかと…思っ……!!」
 次から次へと零れ落ちてくる、の涙。
 イサトは未だぼぅっとしたまま言葉を紡ぐ。
「……どうしても…何とかしたかったからさ…」
「…え…?」
 はそっと顔を上げると、イサトは彼女の濡れた髪や瞳を赤い双眸に映す。
「お前はオレを信じてくれるって言った……そして本当に信じてくれてた。それに……お前は自分を――オレ自身を信じてみろって、言っただろ? だから何とかしたかった…オレに出来るすべてのことで、お前を守りたかった……それだけだよ」
 そう言ってイサトは優しい笑顔をみせる――が、それは、の涙を益々あふれさせるものだった。
「……その気持ちは…嬉しいけど……だからって…! だからってやりすぎだよぉ…! 私は……今までイサトくんのおかげで頑張ってこられたの……! イサトくんが死んじゃうなんて嫌っ…! それじゃ、何にもならない……!」
……」
 イサトはの言葉にただ、ただ驚いた。
 赤い双眸を大きく見開き、胸元に顔を埋め泣きじゃくるを見つめる。
「……ごめんな」
 イサトの両腕が、雨と涙に濡れるを、優しく抱きしめた。
「い、イサト…くん…?」
 自分の方から抱きついただが、こうして抱きしめ返されると、頬を染めずにはいられない。
 だが――イサトの素直な謝りの言葉が雨と一緒に、胸に染みて。
 もう一度、ぎゅっとイサトの胸元にしがみついた。
 それを感じ取った天の朱雀の心に、想いがあふれ出す。

 ――世の中、どうにもならないこともある。
 けれど出来ないことばかりじゃない。
 こうして温かな『命』を守ることが、出来た。
『命』は、時には簡単に失くなってしまう儚いもの。
 失われたら悲しむ人が必ず居て、二度と戻らない尊きもの。
 だからこそ、そうならないように――失われることのないようにしなければいけない。
 自分と信じ合える、想い合える大切な人と共に――。

「……そうだよな。死んじまったら、オレ、お前を守れなくなるもんな」
「…イサトくん…?」
 自分の儚くも尊き命、腕の中に居る儚くも尊き命。
 そのすべてを守りたい――。
「オレ……自分を信じてみるってことが何となくわかった気がする。諦めてちゃ駄目だってことも。――お前がそれを教えてくれたんだ、
 イサトは濡れた前髪も構わず、少し不思議そうに小首を傾げるに、明るく優しい笑顔をみせる。
「オレ、これからもお前を守る。オレがお前を守るからな、
 そう言葉を紡いで、大切なを、降り注ぐ雨から守るように――抱きしめた。
「……うん。ありがとう…イサトくん」
 小さいがしっかりと返事をして、は再びイサトの胸元に身を寄せる。
 その瞳から零れる涙は、もう悲しみのものではなかった。


 それにまた呼応するかのように、雨がしとしとと優しくなってゆく。
 やはりこの雨は、龍神の加護によるものなのだろうか。
 灰色の曇り空がゆっくりと薄れ――光を取り戻してゆく。
 やがて雨が上がり、空が晴れ、かつての青さをも取り戻した刻。
 きっと、を抱く天の朱雀の腕のように暖かく優しい、架け橋が現れるだろう。
 儚くも尊き、七色に輝く『虹』という名の架け橋が――――。




                    ‐終わり‐




 《あとがき》
 ネオロマグランプリに投稿した、加筆修正(SEE/笑)版です。
 枚数が足りなかったので、せっかくだから、イサトくんが泉水さんに謝りに行く場面を加えましたv
 そしたらなぜか、泰継さんまで出てきてしまいました(笑)
 基本的に男の子を書くのが苦手な水帆ですが、八葉は段々慣れてきましたし、玄武――とりわけ、
 泉水さん(永泉さんも)がいれば何とかなります(笑) 考え方が私と似てるので、書きやすいんですよ♪
 あとはあんまり変わってません(苦笑) 多少文章の間とか終わりを修正したくらいです。
 さ〜て、結果はどうなることやら…?(笑)

                                     written by 羽柴水帆