ふゆ うら
冬麗ら‐萌芽の輝き‐
――――長い長い冬を越えて。
大地に眠り、雪に覆われていた小さな命が。
希望の光の中で、今、微かな鼓動を響かせる。
――冷たい空気が、降りそそぐ天の雫を凍らせた。
師走を迎えた雅なる都は、今日も白き雪景色の中に在る。
龍神の神子が住まう星の姫の館の庭も、降り積もった冬空の結晶に包まれていた。
「今日も寒かったぁ……」
はこの日、乳兄弟として育ったという地の青龍、天の朱雀と共に怨霊退治をしてきた。
八葉の中でも特に活気に満ちている二人と一緒だったので、つい自分まで張り切ってしまった。
部屋の火鉢にあたりながら、今頃になって寒さや疲れを実感する。
いずれも、自分が少しでも役に立てた証なのだから、心地よいものでもあるけれど。
「……泰継さん、どうしてるかな」
はふと、鶯色の髪を持つ青年のことを思い起こした。
優秀な陰陽師でもある地の玄武は、常日頃から八葉として神子の役に立とうと尽力してくれている。
そんな彼が今日、館を訪れなかった。
紫姫が伝え聞いたところによると、「体調不良」とのことだったのだ。
「大丈夫かな……?」
この寒さだし、いつも頑張ってくれてるし、風邪を引いてしまったのかもしれない。
そう思ったは、お見舞いに行った方がいいかなぁと考え始める。
「あ、でも、『私に構うな、神子は神子の務めを果たせ』とか言われたらどうしよう??」
まず「大丈夫ですか?」と訊いたら、「問題ない」と返ってきそうと思った瞬間、容易に想像できてしまった。
龍神に選ばれし清らかなる少女は、う〜んと難しく頭を悩ませる。
「それでもやっぱり気持ちの問題だと思うし……風邪引いたり、具合悪い時は心細くなったりするよね」
火鉢の中で黒い炭がパチッと音を立て、橙色の小さな火花を散らした。
「それに確か泰継さんって、北山の庵にひとりで住んでるんじゃなかったっけ」
それなら尚更――と、が意気込んで決めようとした刻。
「神子様、よろしいでしょうか? 今、泉水殿がおみえになられました」
幼き星の姫の声が聴こえた。
京の時間が夕刻に迫った頃だった。
楝色の髪の青年は遅い時刻の来訪を詫びたあと、訪れたその理由を口にする。
「実は……泰継殿のことなのです」
泉水が紡いだのは、相方である陰陽師の名。
つい先程まで彼のことを考えていたは、「え?」と驚いた。
「泰継殿が私たちとは違うということは、神子もご存知だと思います」
泉水の言う『違う』とは、泰継の出自のことも含まれてはいたが、正確には彼が生きている時間軸のことを指していた。
安倍泰継は、稀代の陰陽師・安倍晴明の息子の術によって生まれた存在。
それにより三ヶ月ごとに寝起きするという、通常の人間とは違う時間の中で生活してきたのだ。
自分の生まれも存在も、普通の人間とは異なっていること――。
それゆえに敬遠され、北山の庵でひとり、隠遁していた。
しかし彼はその事実を、はもちろん、泉水にも包み隠さず告げたのだ。
突然のことに、言われた直後は驚いていた泉水だったが、
「――話して下さって、ありがとうございます」
彼が返したのは、柔らかな微笑とその言葉だった。
常に自分には何の価値も無いと卑下していた泉水は、そんなに大切なことを話してくれたことが嬉しかったのだ。
「万物には等しく、魂魄は存在すると……私は思うのです」
優しい楝色の瞳でそう言って――天地の玄武は絆をより一層深められた。
「その泰継殿が、眠りに入ってしまわれたというのです」
「え? 眠っちゃったんですか?」
は黄緑色の瞳を大きく瞬かせた。
泰継が今眠ったら、三ヶ月はそのままということになる。
「はい。ですが、今日いらした安倍家の方によると、今はまだ目覚めの周期にあるはずだと……」
この日、泰継が眠りに入ってしまったことを泉水に伝えたのは、安倍家の者だった。
「こんなことは初めてのため、この眠りがいつまで続くのか、誰にも判らないのだそうです」
翳りの中にも厳しい表情で紡がれた泉水の言葉に、は「そんな…」と、自然に両手を握りしめていた。
「神子……?」
俯き、打ち震えているような珊瑚色の髪の少女を、泉水は気遣うように見やる。
「――私、泰継さんのところへ行きます」
しかし次の瞬間、上げられた神子の瞳は強い決意を宿していた。
「神子……」
京を救う龍神の神子が、この少女でよかったと心から実感する瞬間だった。
「私は、そのお願いをしたくて参ったのです。あなたなら、そう言って下さると思っておりました」
彼女を守る八葉の一人、天の玄武は深い感謝と敬意を微笑みに込めた。
は、少し照れたように笑う。
「教えに来てくれてありがとうございます、泉水さん。泰継さんがどこに居るか、判りますか?」
「はい、糺の森で眠っていらっしゃるそうです。私がお連れいたしましょう」
そうして天の玄武は神子を連れ、相方の眠る森へと向かった。
凍てついた風に吹かれる糺の森は、神気まで更に冴えているようだった。
「ここ……ですか?」
純白の雪にも似た汚れなき少女が、つぶやくように問う。
「――はい」
龍神の神子をここまで連れてきた水の八葉が、凛とした表情で頷いた。
一歩、二歩と雪の地面を踏み締めて、は首を左右に巡らせる。
――神気漂う森は、連理の賢木も含めて辺り一面、雪化粧を施されていた。
「この森のどこか……までは、判らないんですよね」
「はい……安倍家の方も、そこまでは判らないとおっしゃっていました」
申し訳なさそうに言った泉水が、更に遠慮がちに続ける。
「あの、本当は、私も捜すのをお手伝いしたいのですが……ここからは、私が介入してはいけないと思うのです。とても個人的なことですから」
右手を一度胸の前で握りしめると、泉水は真剣な瞳でを見据えた。
「神子ならきっと、泰継殿を見つけられると思います。あなたに……お任せしてもよいですか?」
凛、と何かの音が鳴った気がした。
はにっこりと微笑んで、力強く頷く。
「はい、大丈夫です、泉水さん。私、頑張ります!」
――いつもこの少女は、泉水の不安を打ち消す光をくれた。
「神子……ありがとうございます」
泉水は、ほっと安堵の吐息と笑みを零す。
「神子。泰継殿を、お願いいたします」
そして丁寧に一礼した泉水に、は「はい」と、やはり笑顔で応えた。
やがて天の玄武の足音が遠ざかると、はふぅ、と吐息をひとつついた。
どこから捜したものか、正直見当もつかない。
「考えてもしょうがないよね。とにかく、捜してみなきゃ」
自身に気合いを入れるように独語すると、は足を動かし始めた。
しん、と静まり返った白い森の空気。
辺りにはひとりの少女の足音だけがしていた。
――どれほどの時間が経っただろう。
寒さなんか、冷たさなんか気にならない。
(……泰継さん……!)
心で強く呼びかける。
今はただ、彼を見つけたい、彼に逢いたいという想いだけで頭がいっぱいだった。
「――神子」
いきなりだったから、少し驚いたけれど。
その声が聴こえ、その姿が見えた刻は、本当に安堵した。
「泰継さん! よかっ……――?」
――なのに、それも束の間だった。
の前に現れた地の玄武の姿は、半透明に透けていたのだ。
「泰継さん、その身体、どうして……!?」
蜃気楼のような泰継に、触れられないとは解っていても、は駆け寄った。
「魂魄が身体から離れてしまったのだ。本体は別の場所で眠っている。このような状態ではお前の役に立てない。――お前を守ることができない。すまない」
「そ、そんなこと……!」
謝ってもらっても、困ってしまう。
泰継は何も悪くないのに。
彼自身の方が大変なことになってるのに。
こんな刻にまで自分の八葉でいようとする姿に、は胸が締めつけられた。
「それより、お前はなぜここへ来たのだ?」
神子のそんな胸中に気づけず、泰継は問い返す。
「泰継さんが眠っちゃったって聞いたから、捜しに来たんです。まだその周期じゃないから、普段の眠りとは違うんでしょう?」
「そうだが……」
この刻の泰継が本当に訊きたかったのは、そういうことではなかった。
「なぜお前が、眠った私を捜しに来たのだ?」
は一瞬、瞳を大きく見開く。
そんな当たり前のことを訊かれるとは思っていなかった。
「なぜって、泰継さんが心配だからに決まってます」
少し怒ったような、真剣な表情をする。
「神子……」
端麗な顔に、せつなげな笑みが浮かぶ。
神子がそんな返事をくれたことに、不思議なあたたかさを感じてしまう自分を、泰継は理解できなかった。
「……なぜお前は、そのように私を心配するのか」
と、その刻、泰継は何かに気づいたような顔をする。
「駄目だ、神子。この眠りは、何かの穢れによるものかもしれない。お前にそれが及んだら――」
自分の落ち度で神子に害が及ぶ――泰継にとってそれだけは、起こってほしくなかった。
それでは、自分の唯一の存在意義が失くなってしまう。
「私なら大丈夫です。ううん、私なんかより、泰継さんのことの方が心配だよ」
――そして何より、ただ純粋に、神子に傷ついてほしくなかった。
を、守りたかった。
「神子……!」
泰継の表情が苦しげに歪む。
(神子、なぜお前は……)
不完全な存在の自分に、そこまで言ってくれるのか解らない。
「泰継さん、お願い、どこに居るのか教えて。私、そこに行きますから」
心地よさと、苦しさの狭間。
のひたむきな瞳に、強く揺さぶられているようだった。
「――すまない。こうなった私には、本体がどこに在るのか判らないのだ」
「え……?」
その刻、自然によるものではない寒さがを襲った。
「このまま魂魄が離れたままでは、肉体が衰弱する。そうなったら、もう……戻れない」
「そんな……っ! そんなの、駄目!」
は思わず手を伸ばす。
――その指先は、地の玄武の虚像を空しくすり抜けた。
「駄目……やだ……泰継さん!!」
透けていても姿は見えて、声がちゃんと聴こえるのに。
――彼の『心』が、確かにここに在るのに。
はあふれ出した涙を手の甲でぐいっと拭うと、辺りを見回し、彼の身体を捜した。
「神子……」
どんな逆境にもめげず、常に前を向いて励む龍神の神子の姿を、地の玄武は幾度も見てきた。
どんなことがあっても、彼女は笑顔を忘れなかった。
しかし今の彼女の姿は、どこか痛々しく――見ていて胸がつまる。
泣きそうになるのを何度も堪えながら、肌を刺す冬風の冷たさを耐えながら、懸命に捜している。
――――『私』を……?
すでに京の空は黄昏を迎え、東の彼方から夕闇が押し寄せ始めている。
自分を捜すために、が凍てついた空気にさらされている。
「神子! 神子、もういい」
今度は泰継が、珊瑚色の髪の少女へ手を伸ばした。
だが、幻同然の手が彼女に触れられることはない。
「神子、もうやめるのだ」
もはや言葉で止めることしか、泰継には出来なかった。
「だって、泰継さんの身体を見つけなきゃ! 泰継さんが居なくなっちゃうなんて、私、絶対に嫌です!」
少女の瞳から散ったのは、大粒の清らかな雫。
少女の声で放たれたのは、気高いほど強い、切なる願いだった。
「……神子……」
その震える声に、は彼を振り返った。
魂魄の彼の、琥珀と翡翠色の瞳から――一粒、また一粒と涙が零れていく。
「泰継さん……」
「これは……何なのだ? 人ならざるものが、なぜ涙など……」
普段の自分では勿論、あり得るはずがなかったのに。
実体ではない自分の双眸から、あふれ出したことが信じられない。
「ううん、泰継さん。それがあなたの『心』の『証』だよ。人だから、涙を流すんだよ」
優しい声が、泰継に心地よく語りかける。
「あなたはちゃんと『心』を持った、人なんだよ」
柔らかな笑顔が、泰継の胸に染み渡る。
「神子……」
きっと、何と返事をしたらいいのか判らなかったのだろう。
それでも『心』に湧いた想いをあらわすために、鶯色の髪の青年は穏やかに微笑んだ。
「…………」
「――っ!?」
次の瞬間。
微笑んだ地の玄武の姿が、淡く儚い白い吐息のように。
冬の空気に溶けて――――消えた。
「…………嘘……」
ただ呆然として、つぶやく。
の瞳が、心が、そして時が凍りついた。
今、そこに居て。
微笑んで。
名前を――呼んでくれたのに。
「嘘……嘘だ……いや……そんなの嫌だ、嫌だよぉ! 泰継さぁんッ!!」
今までずっと堪えてきた涙が、新たな哀しみを背負って一気に流れ出した。
(私が……私がいけないの!? 早く泰継さんを見つけられなかったから)
もう、なす術は無いのか――。
「駄目っ、まだあきらめない!」
脳裏を掠めた絶望を、は涙と一緒に拭い、振り払った。
「泰継さん! 泰継さん、どこに居るの!?」
そんな簡単にあきらめたくなかった。
のその姿を見たら、泰継はまた「なぜだ」と疑問を抱くかもしれない。
でも、答えは簡単だった。
――『泰継』のことが、本当に好きだから。
(まだ、まだちゃんと伝えてないよ、泰継さん!)
彼にはきちんと言わないと、説明しないと、きっと理解してもらえない。
――龍神の神子は足を止めた。
両の瞳を閉じ、心を静める。
闇雲に捜しても、泣きわめいても駄目だ。
それでは彼を見つけられない。
彼の声や鼓動を聴き取れない。
彼の存在を示す、心の輝きを感じ取れないから。
――――『…………』――――。
(聴こえた!)
黄緑色の双眸を開き、は声のした方へと走り出す。
足を進めるほどに、微かでも確かな鼓動が聴こえてくるように感じた。
と、何かが一瞬、の目の前で光を放つ。
「泰継さん!?」
あまりの眩しさに片手で双眸を軽く覆いながら、それでも駆け寄る。
すると、龍神の神子の前に在った輝きが弾けた。
きらきらと光の粒子が舞い散る中で、が見つけたのは――。
「――――泰継さんッ!?」
両眼を固く閉ざしたまま横たわる、地の玄武だった。
「泰継さんっ、泰継さん!!」
冷たい雪の上に膝をつき、彼の頬に手を当ててみる。
今度はちゃんと触れることが出来て、ほんの一滴の安堵を感じた。
けれども目を覚ましてくれなければ、意識が戻らなければ――――!
(お願い、泰継さん、目を開けて!)
鶯色の前髪を優しく梳いてから、彼の手を握る。
(私は、ここに居るよ――!!)
あなたにとって、微かな灯りでも。
私は、ここに居るから。
泰継の手を包み込むようにして握り、強く祈る。
この想いが、彼の心に届くように。
「――――…………?」
ハッとして彼の顔を見やった。
そっと優しく強く、握り返される手。
地の玄武の綺麗な琥珀と翡翠色の瞳が、朧気に開かれた。
「……」
そして、何も言えない少女を映し出す。
「ずっと……私を捜してくれたのだな。私を呼ぶ声が、聴こえていた」
ようやく動けるようになった身体を、ゆっくりと起こした。
そしての手を引き寄せ、自身の頬に愛おしそうに押し当てる。
「――ありがとう」
その声は、今までで一番あたたかかった。
その微笑みは、今までで一番優しかった。
「っく……や、泰継…さ……!」
声が震え、瞳が揺れる。
都合のいい夢でも、冬風が見せた幻でも、雪が生んだ蜃気楼でもない。
の名を呼び、あたたかな手で触れてくれる。
確かに彼は目覚め、そこに居た。
「泰継さぁん!!」
わぁっとは泣き出し、上半身を起こした泰継の胸に抱きついた。
彼にまた逢えると、目覚めてくれると信じていた。
でもそれは、自分の意地っ張りな願いだけなのかもしれない――。
その思いがどうしても消えなくて、不安だった。
「逢いたかった……逢いたかったよ、泰継さん……!」
「……私もだ」
何度もしゃくり上げる少女を、泰継は優しく抱きしめる。
「私も、に逢いたかった。のそばへ戻りたかった」
その言葉は幼いまでに汚れなく、純粋な想いだった。
は嬉しそうに小さく笑い、自分の頬を彼の胸に押しつけるように、ぎゅっとしがみついた。
――――冷えきっていた氷塊が、あたたかな光によって溶かされた。
それを感じ取った瞬間、泉水は楝色の双眸を開け、数珠を握っていた手の力を緩める。
心底安堵したように微笑し、白い吐息をひとつ零した。
「あれ? そこに居るの、泉水か?」
水の八葉に声をかけてきたのは、長い紅の髪を持つ火の八葉だった。
「イサト殿……どうしてこちらへ?」
ここは糺の森と神楽岡の間を通る小径で、滅多に人が訪れることはない場所だ。
――だから泉水は、ここを選んだ。
僧兵見習いの少年は、シャラシャラと鳴る錫杖を担ぎ直す。
「どうしてって、オレが世話になってる寺への帰り道なんだよ、ここ」
確かに彼の寺は、糺の森を越えた比叡山の麓にある。
「そ、そうだったのですか……」
しかし、よもやここを好き好んで通る人間が居るとは思わなかった。
イサトにとっては、手頃な近道なのだろうが。
「今日、勝真と一緒にの共をしたんだけど、半端に時間が余ったからさ。ついでに町を見回ってきて、これから戻るところなんだ」
「そうでしたか……ご苦労様です」
以前より生き生きとした表情が多くなり、持ち前の快活さが増した彼を、泉水は微笑ましく思った。
「そう言うお前は、ここで何してんだ? もうじき日が暮れるぜ」
「ええ……」
イサトからの問いに答えきれぬまま、泉水は楝色の瞳を糺の森へ向けた。
――かの森へを送り届け、その場を去ったあと。
泉水は自分に出来るせめてもの手伝いとして、森一帯を包む結界を張っていたのだ。
悪しき妨げや、『彼』のもの以外の音と念が入らぬようにと。
そしてどうやら、泉水と『彼』が、八葉が信じる神子は――成し遂げてくれたようだ。
「……泉水??」
連理の賢木が存在する森を見つめ、ただ微笑むだけの天の玄武を、イサトは疑問符だらけの顔で呼んでみる。
「ああ、すみません。その……」
きちんと答えぬままの非礼を詫びた泉水の手で、数珠がじゃらりと音をたてた。
「お前、手が……?」
――震えている。
泉水は「大丈夫です」と言って、もう片方の手でそれを覆った。
おそらく力を使いすぎたか、精神を張り詰めすぎたのかもしれない。
「こんな私には、大したことなど出来ませんが……せめてお手伝いがしたかったのです」
物の数にもならぬ身だと思っていた自分を信じてくれた、大切な人たちのために。
「……そっか」
多くを語らない泉水に、イサトは難をつけることなく笑ってみせた。
「大したことも何も、出来たんならそれでいいじゃねぇか」
「え? あっ、あの、イサト殿……?」
なぜか、まるで何もかも察したかのような天の朱雀に、泉水は驚いてしまう。
「オレには何か事が起きてないか、京を走って見回るしか出来ねぇけど。お前は彷徨ってる霊を慰めるんだか、宥めるんだかして、怨霊になるのを防いだりしてるんだろ? そんなこと出来るの、八葉ではお前か泰継だけじゃん」
――泉水は楝色の瞳を、半ば呆然と瞬かせていた。
やがて、くすっと苦笑するように笑む。
「……私には京中を走り回ることなど、とても出来ません」
するとイサトが「だから、さ」と、更に笑顔を深くする。
「それぞれ適材適所ってもんがあるじゃんってこと。オレたちは自分の出来ることでの役に立てれば、それでいいんだと思うぜ」
「そうですね……ありがとうございます、イサト殿」
少し照れたのか「別に、礼を言われるようなことでもねぇよ」と、あさっての方へ顔を向けるイサトに、泉水は微笑を繰り返した。
再び森を見上げると、東の空の夕闇が蒼く薄れていく。
(泰継殿……目覚めて下さって、本当によかった――――)
そして心の中から、信頼する相方へと言の葉を送った。
「――……っ!」
その刻、懐かしく思える声が聴こえたような気がした。
「泰継さん……?」
雫の残る瞳で不思議そうに見上げてきたに、「何でもない」と微笑んで答える。
「……。お前は私が眠ったことやその場所を、誰から聞いたのだ?」
愛しき少女を腕に抱いたまま、やはり気になったそれを問うた。
「泉水さんです。泉水さんが安倍家の人から聞いたことを、私に知らせてくれて、ここまで送ってくれたんですよ」
「……泉水が?」
「はい。あ、でも、そのあとは『とても個人的なことですから』って、あの……気を遣ってくれたみたいで……えっと……!」
泰継の腕の中で。
こうなることが判っていての心配りだったらどうしよう、とはひとり、照れたり焦ったりしてしまう。
――目覚めたすぐあとで。
まるで眠っていた自分と神子を守るように、森を覆っていた『翼』が。
雪煙と同じように、光の羽根となり、空へ還っていった。
あれも、そして――これも。
あの遠慮がちで、細やかな気配りの出来る相方のおかげだった。
「……やはり……そうか」
泰継の心がまた、穏やかな気持ちで満ちる。
「泉水に、礼を言わなければならないな」
突然の不可解な『眠り』からこうして目覚め、大切な神子を抱くことが出来たのだから。
無垢な笑顔で、が「そうですね」と頷いた。
――私は本当に、人になれたのか……?
訊いてばかりだと思いながらも、泰継はふと胸を掠めたそれを問おうとした。
が、その前にがくしゅん、と小さなくしゃみをする。
「、大丈夫か? 寒いだろう……すまなかった」
冬の冷気にこれ以上さらすまいと、泰継はを大事そうに抱え直す。
「平気です。だって泰継さん、あったかいもん」
嬉しそうに頬を朱に染め、は「えへへ」と笑って、泰継の胸に顔を埋めた。
一度双眸を見開いた地の玄武は――優しく微笑んで、更に強く抱きしめた。
少女の珊瑚色の髪を撫で、柔らかな頬に触れ、細い顎を持ち上げる。
その至極自然な仕草に、は大きな黄緑色の瞳を揺らす。
やがて、冷えていたふたりの唇が重なり――あたたかさを取り戻した。
『平気です。だって泰継さん、あったかいもん』
――その『あたたかさ』は、人の持つ温もりなのだから。
――――長い長い冬を越えて。
大地に眠り、雪に覆われていた小さな命が。
希望の光の中で、今目覚め、新たな姿へと芽吹いていく。
まだ寒い冬空の下でも。
うらうらと晴れた冬日和のように、確かなあたたかさに包まれて。
その森では、小さな命たちが輝いていた。
end.
《あとがき》
時空界二周年記念の羽柴水帆・初恋創作、遙か2Ver.です(長いってば)
遙か2での初恋って、実は玄武のどっちなのか定かじゃないんですけど(苦笑) 一応、初EDが泰継さんだった
ので、今回、彼のイベントのアレンジ版に挑戦してみました。
謙虚で優しい泰継さんへの想いを、全部書いたつもりですが……う〜ん;
って、本編長すぎ(‐‐;) 長編じゃないんだぞ、羽柴水帆(汗)
本当はお正月にでもアップしたかったのに。書いても×2終わらなくて困りました;
泉水さんとイサトくんが喋る喋る(笑) 障害の恋イベント三段階のエピソードなので泉水さんにも登場してもらった
んですが……ゲーム中、泰継さんが『眠っている』糺の森に、神子を一人置いてそのまま帰ったんだろうかと
思ってしまったんです;
いえ、泉水さんの気遣いも尤もです! 泰継さんの恋愛イベントなんですから(^^;)
ただやっぱり、泉水さんならこうしてくれるんじゃないかなーと、水帆なりの理想を込めてみました。
で、泉水さん一人だと淋しいなぁと思った矢先、ふと『八葉花伝』を開いてみれば「あら、イサトくんの帰り道」(笑)
という経緯がございました。
でもよく考えてみれば、私の遙か2八葉1位が誰なのか判らない証拠って気もします;
基本的に『八葉』は皆好きですし。遙か2では、玄武と乳兄弟が特に好きですね(笑)
って! あとがきまでこんなに長くってすみません!!(自己嫌悪;)
ここまで読んで下さった様、本当に本当にありがとうございました!m(_ _;)m
written by 羽柴水帆
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