ふゆ うら
                   冬麗ら‐萌芽の輝き‐





 ――――長い長い冬を越えて。
 大地に眠り、雪に覆われていた小さな命が。
 希望の光の中で、今、微かな鼓動を響かせる。





 ――冷たい空気が、降りそそぐ天の雫を凍らせた。
 師走を迎えた雅なる都は、今日も白き雪景色の中に在る。
 龍神の神子が住まう星の姫の館の庭も、降り積もった冬空の結晶に包まれていた。
「今日も寒かったぁ……」
 はこの日、乳兄弟として育ったという地の青龍、天の朱雀と共に怨霊退治をしてきた。
 八葉の中でも特に活気に満ちている二人と一緒だったので、つい自分まで張り切ってしまった。
 部屋の火鉢にあたりながら、今頃になって寒さや疲れを実感する。
 いずれも、自分が少しでも役に立てた証なのだから、心地よいものでもあるけれど。
「……泰継さん、どうしてるかな」
 はふと、鶯色の髪を持つ青年のことを思い起こした。
 優秀な陰陽師でもある地の玄武は、常日頃から八葉として神子の役に立とうと尽力してくれている。
 そんな彼が今日、館を訪れなかった。
 紫姫が伝え聞いたところによると、「体調不良」とのことだったのだ。
「大丈夫かな……?」
 この寒さだし、いつも頑張ってくれてるし、風邪を引いてしまったのかもしれない。
 そう思ったは、お見舞いに行った方がいいかなぁと考え始める。
「あ、でも、『私に構うな、神子は神子の務めを果たせ』とか言われたらどうしよう??」
 まず「大丈夫ですか?」と訊いたら、「問題ない」と返ってきそうと思った瞬間、容易に想像できてしまった。
 龍神に選ばれし清らかなる少女は、う〜んと難しく頭を悩ませる。
「それでもやっぱり気持ちの問題だと思うし……風邪引いたり、具合悪い時は心細くなったりするよね」
 火鉢の中で黒い炭がパチッと音を立て、橙色の小さな火花を散らした。
「それに確か泰継さんって、北山の庵にひとりで住んでるんじゃなかったっけ」
 それなら尚更――と、が意気込んで決めようとした刻。
「神子様、よろしいでしょうか? 今、泉水殿がおみえになられました」
 幼き星の姫の声が聴こえた。


 京の時間が夕刻に迫った頃だった。
 楝色の髪の青年は遅い時刻の来訪を詫びたあと、訪れたその理由を口にする。
「実は……泰継殿のことなのです」
 泉水が紡いだのは、相方である陰陽師の名。
 つい先程まで彼のことを考えていたは、「え?」と驚いた。
「泰継殿が私たちとは違うということは、神子もご存知だと思います」
 泉水の言う『違う』とは、泰継の出自のことも含まれてはいたが、正確には彼が生きている時間軸のことを指していた。

 安倍泰継は、稀代の陰陽師・安倍晴明の息子の術によって生まれた存在。
 それにより三ヶ月ごとに寝起きするという、通常の人間とは違う時間の中で生活してきたのだ。
 自分の生まれも存在も、普通の人間とは異なっていること――。
 それゆえに敬遠され、北山の庵でひとり、隠遁していた。
 しかし彼はその事実を、はもちろん、泉水にも包み隠さず告げたのだ。
 突然のことに、言われた直後は驚いていた泉水だったが、
「――話して下さって、ありがとうございます」
 彼が返したのは、柔らかな微笑とその言葉だった。
 常に自分には何の価値も無いと卑下していた泉水は、そんなに大切なことを話してくれたことが嬉しかったのだ。
「万物には等しく、魂魄は存在すると……私は思うのです」
 優しい楝色の瞳でそう言って――天地の玄武は絆をより一層深められた。

「その泰継殿が、眠りに入ってしまわれたというのです」
「え? 眠っちゃったんですか?」
 は黄緑色の瞳を大きく瞬かせた。
 泰継が今眠ったら、三ヶ月はそのままということになる。
「はい。ですが、今日いらした安倍家の方によると、今はまだ目覚めの周期にあるはずだと……」
 この日、泰継が眠りに入ってしまったことを泉水に伝えたのは、安倍家の者だった。
「こんなことは初めてのため、この眠りがいつまで続くのか、誰にも判らないのだそうです」
 翳りの中にも厳しい表情で紡がれた泉水の言葉に、は「そんな…」と、自然に両手を握りしめていた。
「神子……?」
 俯き、打ち震えているような珊瑚色の髪の少女を、泉水は気遣うように見やる。
「――私、泰継さんのところへ行きます」
 しかし次の瞬間、上げられた神子の瞳は強い決意を宿していた。
「神子……」
 京を救う龍神の神子が、この少女でよかったと心から実感する瞬間だった。
「私は、そのお願いをしたくて参ったのです。あなたなら、そう言って下さると思っておりました」
 彼女を守る八葉の一人、天の玄武は深い感謝と敬意を微笑みに込めた。
 は、少し照れたように笑う。
「教えに来てくれてありがとうございます、泉水さん。泰継さんがどこに居るか、判りますか?」
「はい、糺の森で眠っていらっしゃるそうです。私がお連れいたしましょう」
 そうして天の玄武は神子を連れ、相方の眠る森へと向かった。



 凍てついた風に吹かれる糺の森は、神気まで更に冴えているようだった。
「ここ……ですか?」
 純白の雪にも似た汚れなき少女が、つぶやくように問う。
「――はい」
 龍神の神子をここまで連れてきた水の八葉が、凛とした表情で頷いた。
 一歩、二歩と雪の地面を踏み締めて、は首を左右に巡らせる。
 ――神気漂う森は、連理の賢木も含めて辺り一面、雪化粧を施されていた。
「この森のどこか……までは、判らないんですよね」
「はい……安倍家の方も、そこまでは判らないとおっしゃっていました」
 申し訳なさそうに言った泉水が、更に遠慮がちに続ける。
「あの、本当は、私も捜すのをお手伝いしたいのですが……ここからは、私が介入してはいけないと思うのです。とても個人的なことですから」
 右手を一度胸の前で握りしめると、泉水は真剣な瞳でを見据えた。
「神子ならきっと、泰継殿を見つけられると思います。あなたに……お任せしてもよいですか?」
 凛、と何かの音が鳴った気がした。
 はにっこりと微笑んで、力強く頷く。
「はい、大丈夫です、泉水さん。私、頑張ります!」
 ――いつもこの少女は、泉水の不安を打ち消す光をくれた。
「神子……ありがとうございます」
 泉水は、ほっと安堵の吐息と笑みを零す。
「神子。泰継殿を、お願いいたします」
 そして丁寧に一礼した泉水に、は「はい」と、やはり笑顔で応えた。



 やがて天の玄武の足音が遠ざかると、はふぅ、と吐息をひとつついた。
 どこから捜したものか、正直見当もつかない。
「考えてもしょうがないよね。とにかく、捜してみなきゃ」
 自身に気合いを入れるように独語すると、は足を動かし始めた。
 しん、と静まり返った白い森の空気。
 辺りにはひとりの少女の足音だけがしていた。
 ――どれほどの時間が経っただろう。
 寒さなんか、冷たさなんか気にならない。
(……泰継さん……!)
 心で強く呼びかける。
 今はただ、彼を見つけたい、彼に逢いたいという想いだけで頭がいっぱいだった。

「――神子」

 いきなりだったから、少し驚いたけれど。
 その声が聴こえ、その姿が見えた刻は、本当に安堵した。
「泰継さん! よかっ……――?」
 ――なのに、それも束の間だった。
 の前に現れた地の玄武の姿は、半透明に透けていたのだ。
「泰継さん、その身体、どうして……!?」
 蜃気楼のような泰継に、触れられないとは解っていても、は駆け寄った。
「魂魄が身体から離れてしまったのだ。本体は別の場所で眠っている。このような状態ではお前の役に立てない。――お前を守ることができない。すまない」
「そ、そんなこと……!」
 謝ってもらっても、困ってしまう。
 泰継は何も悪くないのに。
 彼自身の方が大変なことになってるのに。
 こんな刻にまで自分の八葉でいようとする姿に、は胸が締めつけられた。
「それより、お前はなぜここへ来たのだ?」
 神子のそんな胸中に気づけず、泰継は問い返す。
「泰継さんが眠っちゃったって聞いたから、捜しに来たんです。まだその周期じゃないから、普段の眠りとは違うんでしょう?」
「そうだが……」
 この刻の泰継が本当に訊きたかったのは、そういうことではなかった。
「なぜお前が、眠った私を捜しに来たのだ?」
 は一瞬、瞳を大きく見開く。
 そんな当たり前のことを訊かれるとは思っていなかった。
「なぜって、泰継さんが心配だからに決まってます」
 少し怒ったような、真剣な表情をする
「神子……」
 端麗な顔に、せつなげな笑みが浮かぶ。
 神子がそんな返事をくれたことに、不思議なあたたかさを感じてしまう自分を、泰継は理解できなかった。
「……なぜお前は、そのように私を心配するのか」
 と、その刻、泰継は何かに気づいたような顔をする。
「駄目だ、神子。この眠りは、何かの穢れによるものかもしれない。お前にそれが及んだら――」
 自分の落ち度で神子に害が及ぶ――泰継にとってそれだけは、起こってほしくなかった。
 それでは、自分の唯一の存在意義が失くなってしまう。
「私なら大丈夫です。ううん、私なんかより、泰継さんのことの方が心配だよ」
 ――そして何より、ただ純粋に、神子に傷ついてほしくなかった。
 を、守りたかった。
「神子……!」
 泰継の表情が苦しげに歪む。
(神子、なぜお前は……)
 不完全な存在の自分に、そこまで言ってくれるのか解らない。
「泰継さん、お願い、どこに居るのか教えて。私、そこに行きますから」
 心地よさと、苦しさの狭間。
 のひたむきな瞳に、強く揺さぶられているようだった。
「――すまない。こうなった私には、本体がどこに在るのか判らないのだ」
「え……?」
 その刻、自然によるものではない寒さがを襲った。
「このまま魂魄が離れたままでは、肉体が衰弱する。そうなったら、もう……戻れない」
「そんな……っ! そんなの、駄目!」
 は思わず手を伸ばす。
 ――その指先は、地の玄武の虚像を空しくすり抜けた。
「駄目……やだ……泰継さん!!」
 透けていても姿は見えて、声がちゃんと聴こえるのに。
 ――彼の『心』が、確かにここに在るのに。
 はあふれ出した涙を手の甲でぐいっと拭うと、辺りを見回し、彼の身体を捜した。
「神子……」
 どんな逆境にもめげず、常に前を向いて励む龍神の神子の姿を、地の玄武は幾度も見てきた。
 どんなことがあっても、彼女は笑顔を忘れなかった。
 しかし今の彼女の姿は、どこか痛々しく――見ていて胸がつまる。
 泣きそうになるのを何度も堪えながら、肌を刺す冬風の冷たさを耐えながら、懸命に捜している。

 ――――『私』を……?

 すでに京の空は黄昏を迎え、東の彼方から夕闇が押し寄せ始めている。
 自分を捜すために、が凍てついた空気にさらされている。
「神子! 神子、もういい」
 今度は泰継が、珊瑚色の髪の少女へ手を伸ばした。
 だが、幻同然の手が彼女に触れられることはない。
「神子、もうやめるのだ」
 もはや言葉で止めることしか、泰継には出来なかった。
「だって、泰継さんの身体を見つけなきゃ! 泰継さんが居なくなっちゃうなんて、私、絶対に嫌です!」
 少女の瞳から散ったのは、大粒の清らかな雫。
 少女の声で放たれたのは、気高いほど強い、切なる願いだった。
「……神子……」
 その震える声に、は彼を振り返った。
 魂魄の彼の、琥珀と翡翠色の瞳から――一粒、また一粒と涙が零れていく。
「泰継さん……」
「これは……何なのだ? 人ならざるものが、なぜ涙など……」
 普段の自分では勿論、あり得るはずがなかったのに。
 実体ではない自分の双眸から、あふれ出したことが信じられない。
「ううん、泰継さん。それがあなたの『心』の『証』だよ。人だから、涙を流すんだよ」
 優しい声が、泰継に心地よく語りかける。
「あなたはちゃんと『心』を持った、人なんだよ」
 柔らかな笑顔が、泰継の胸に染み渡る。
「神子……」
 きっと、何と返事をしたらいいのか判らなかったのだろう。
 それでも『心』に湧いた想いをあらわすために、鶯色の髪の青年は穏やかに微笑んだ。


「…………


「――っ!?」
 次の瞬間。
 微笑んだ地の玄武の姿が、淡く儚い白い吐息のように。
 冬の空気に溶けて――――消えた。
「…………嘘……」
 ただ呆然として、つぶやく。
 の瞳が、心が、そして時が凍りついた。

 今、そこに居て。
 微笑んで。
 名前を――呼んでくれたのに。

「嘘……嘘だ……いや……そんなの嫌だ、嫌だよぉ! 泰継さぁんッ!!」
 今までずっと堪えてきた涙が、新たな哀しみを背負って一気に流れ出した。
(私が……私がいけないの!? 早く泰継さんを見つけられなかったから)
 もう、なす術は無いのか――。
「駄目っ、まだあきらめない!」
 脳裏を掠めた絶望を、は涙と一緒に拭い、振り払った。
「泰継さん! 泰継さん、どこに居るの!?」
 そんな簡単にあきらめたくなかった。
 のその姿を見たら、泰継はまた「なぜだ」と疑問を抱くかもしれない。
 でも、答えは簡単だった。
 ――『泰継』のことが、本当に好きだから。
(まだ、まだちゃんと伝えてないよ、泰継さん!)
 彼にはきちんと言わないと、説明しないと、きっと理解してもらえない。
 ――龍神の神子は足を止めた。
 両の瞳を閉じ、心を静める。
 闇雲に捜しても、泣きわめいても駄目だ。
 それでは彼を見つけられない。
 彼の声や鼓動を聴き取れない。
 彼の存在を示す、心の輝きを感じ取れないから。


 ――――『…………』――――。


(聴こえた!)
 黄緑色の双眸を開き、は声のした方へと走り出す。
 足を進めるほどに、微かでも確かな鼓動が聴こえてくるように感じた。
 と、何かが一瞬、の目の前で光を放つ。
「泰継さん!?」
 あまりの眩しさに片手で双眸を軽く覆いながら、それでも駆け寄る。
 すると、龍神の神子の前に在った輝きが弾けた。
 きらきらと光の粒子が舞い散る中で、が見つけたのは――。

「――――泰継さんッ!?」

 両眼を固く閉ざしたまま横たわる、地の玄武だった。
「泰継さんっ、泰継さん!!」
 冷たい雪の上に膝をつき、彼の頬に手を当ててみる。
 今度はちゃんと触れることが出来て、ほんの一滴の安堵を感じた。
 けれども目を覚ましてくれなければ、意識が戻らなければ――――!
(お願い、泰継さん、目を開けて!)
 鶯色の前髪を優しく梳いてから、彼の手を握る。
(私は、ここに居るよ――!!)

 あなたにとって、微かな灯りでも。
 私は、ここに居るから。

 泰継の手を包み込むようにして握り、強く祈る。
 この想いが、彼の心に届くように。


「――――…………?」


 ハッとして彼の顔を見やった。
 そっと優しく強く、握り返される手。
 地の玄武の綺麗な琥珀と翡翠色の瞳が、朧気に開かれた。
……」
 そして、何も言えない少女を映し出す。
「ずっと……私を捜してくれたのだな。私を呼ぶ声が、聴こえていた」
 ようやく動けるようになった身体を、ゆっくりと起こした。
 そしての手を引き寄せ、自身の頬に愛おしそうに押し当てる。

「――ありがとう」
 その声は、今までで一番あたたかかった。
 その微笑みは、今までで一番優しかった。

「っく……や、泰継…さ……!」
 声が震え、瞳が揺れる。
 都合のいい夢でも、冬風が見せた幻でも、雪が生んだ蜃気楼でもない。
 の名を呼び、あたたかな手で触れてくれる。
 確かに彼は目覚め、そこに居た。
「泰継さぁん!!」
 わぁっとは泣き出し、上半身を起こした泰継の胸に抱きついた。
 彼にまた逢えると、目覚めてくれると信じていた。
 でもそれは、自分の意地っ張りな願いだけなのかもしれない――。
 その思いがどうしても消えなくて、不安だった。
「逢いたかった……逢いたかったよ、泰継さん……!」
「……私もだ」
 何度もしゃくり上げる少女を、泰継は優しく抱きしめる。
「私も、に逢いたかった。のそばへ戻りたかった」
 その言葉は幼いまでに汚れなく、純粋な想いだった。
 は嬉しそうに小さく笑い、自分の頬を彼の胸に押しつけるように、ぎゅっとしがみついた。



 ――――冷えきっていた氷塊が、あたたかな光によって溶かされた。
 それを感じ取った瞬間、泉水は楝色の双眸を開け、数珠を握っていた手の力を緩める。
 心底安堵したように微笑し、白い吐息をひとつ零した。
「あれ? そこに居るの、泉水か?」
 水の八葉に声をかけてきたのは、長い紅の髪を持つ火の八葉だった。
「イサト殿……どうしてこちらへ?」
 ここは糺の森と神楽岡の間を通る小径で、滅多に人が訪れることはない場所だ。
 ――だから泉水は、ここを選んだ。
 僧兵見習いの少年は、シャラシャラと鳴る錫杖を担ぎ直す。
「どうしてって、オレが世話になってる寺への帰り道なんだよ、ここ」
 確かに彼の寺は、糺の森を越えた比叡山の麓にある。
「そ、そうだったのですか……」
 しかし、よもやここを好き好んで通る人間が居るとは思わなかった。
 イサトにとっては、手頃な近道なのだろうが。
「今日、勝真と一緒にの共をしたんだけど、半端に時間が余ったからさ。ついでに町を見回ってきて、これから戻るところなんだ」
「そうでしたか……ご苦労様です」
 以前より生き生きとした表情が多くなり、持ち前の快活さが増した彼を、泉水は微笑ましく思った。
「そう言うお前は、ここで何してんだ? もうじき日が暮れるぜ」
「ええ……」
 イサトからの問いに答えきれぬまま、泉水は楝色の瞳を糺の森へ向けた。

 ――かの森へを送り届け、その場を去ったあと。
 泉水は自分に出来るせめてもの手伝いとして、森一帯を包む結界を張っていたのだ。
 悪しき妨げや、『彼』のもの以外の音と念が入らぬようにと。
 そしてどうやら、泉水と『彼』が、八葉が信じる神子は――成し遂げてくれたようだ。

「……泉水??」
 連理の賢木が存在する森を見つめ、ただ微笑むだけの天の玄武を、イサトは疑問符だらけの顔で呼んでみる。
「ああ、すみません。その……」
 きちんと答えぬままの非礼を詫びた泉水の手で、数珠がじゃらりと音をたてた。
「お前、手が……?」
 ――震えている。
 泉水は「大丈夫です」と言って、もう片方の手でそれを覆った。
 おそらく力を使いすぎたか、精神を張り詰めすぎたのかもしれない。
「こんな私には、大したことなど出来ませんが……せめてお手伝いがしたかったのです」
 物の数にもならぬ身だと思っていた自分を信じてくれた、大切な人たちのために。
「……そっか」
 多くを語らない泉水に、イサトは難をつけることなく笑ってみせた。
「大したことも何も、出来たんならそれでいいじゃねぇか」
「え? あっ、あの、イサト殿……?」
 なぜか、まるで何もかも察したかのような天の朱雀に、泉水は驚いてしまう。
「オレには何か事が起きてないか、京を走って見回るしか出来ねぇけど。お前は彷徨ってる霊を慰めるんだか、宥めるんだかして、怨霊になるのを防いだりしてるんだろ? そんなこと出来るの、八葉ではお前か泰継だけじゃん」
 ――泉水は楝色の瞳を、半ば呆然と瞬かせていた。
 やがて、くすっと苦笑するように笑む。
「……私には京中を走り回ることなど、とても出来ません」
 するとイサトが「だから、さ」と、更に笑顔を深くする。
「それぞれ適材適所ってもんがあるじゃんってこと。オレたちは自分の出来ることでの役に立てれば、それでいいんだと思うぜ」
「そうですね……ありがとうございます、イサト殿」
 少し照れたのか「別に、礼を言われるようなことでもねぇよ」と、あさっての方へ顔を向けるイサトに、泉水は微笑を繰り返した。
 再び森を見上げると、東の空の夕闇が蒼く薄れていく。
(泰継殿……目覚めて下さって、本当によかった――――)
 そして心の中から、信頼する相方へと言の葉を送った。



「――……っ!」
 その刻、懐かしく思える声が聴こえたような気がした。
「泰継さん……?」
 雫の残る瞳で不思議そうに見上げてきたに、「何でもない」と微笑んで答える。
「……。お前は私が眠ったことやその場所を、誰から聞いたのだ?」
 愛しき少女を腕に抱いたまま、やはり気になったそれを問うた。
「泉水さんです。泉水さんが安倍家の人から聞いたことを、私に知らせてくれて、ここまで送ってくれたんですよ」
「……泉水が?」
「はい。あ、でも、そのあとは『とても個人的なことですから』って、あの……気を遣ってくれたみたいで……えっと……!」
 泰継の腕の中で。
 こうなることが判っていての心配りだったらどうしよう、とはひとり、照れたり焦ったりしてしまう。
 ――目覚めたすぐあとで。
 まるで眠っていた自分と神子を守るように、森を覆っていた『翼』が。
 雪煙と同じように、光の羽根となり、空へ還っていった。
 あれも、そして――これも。
 あの遠慮がちで、細やかな気配りの出来る相方のおかげだった。
「……やはり……そうか」
 泰継の心がまた、穏やかな気持ちで満ちる。
「泉水に、礼を言わなければならないな」
 突然の不可解な『眠り』からこうして目覚め、大切な神子を抱くことが出来たのだから。
 無垢な笑顔で、が「そうですね」と頷いた。

 ――私は本当に、人になれたのか……?

 訊いてばかりだと思いながらも、泰継はふと胸を掠めたそれを問おうとした。
 が、その前にがくしゅん、と小さなくしゃみをする。
、大丈夫か? 寒いだろう……すまなかった」
 冬の冷気にこれ以上さらすまいと、泰継はを大事そうに抱え直す。
「平気です。だって泰継さん、あったかいもん」
 嬉しそうに頬を朱に染め、は「えへへ」と笑って、泰継の胸に顔を埋めた。
 一度双眸を見開いた地の玄武は――優しく微笑んで、更に強く抱きしめた。
 少女の珊瑚色の髪を撫で、柔らかな頬に触れ、細い顎を持ち上げる。
 その至極自然な仕草に、は大きな黄緑色の瞳を揺らす。
 やがて、冷えていたふたりの唇が重なり――あたたかさを取り戻した。

『平気です。だって泰継さん、あったかいもん』

 ――その『あたたかさ』は、人の持つ温もりなのだから。



 ――――長い長い冬を越えて。
 大地に眠り、雪に覆われていた小さな命が。
 希望の光の中で、今目覚め、新たな姿へと芽吹いていく。

 まだ寒い冬空の下でも。
 うらうらと晴れた冬日和のように、確かなあたたかさに包まれて。
 その森では、小さな命たちが輝いていた。




                       end.




 《あとがき》
 時空界二周年記念の羽柴水帆・初恋創作、遙か2Ver.です(長いってば)
 遙か2での初恋って、実は玄武のどっちなのか定かじゃないんですけど(苦笑) 一応、初EDが泰継さんだった
 ので、今回、彼のイベントのアレンジ版に挑戦してみました。
 謙虚で優しい泰継さんへの想いを、全部書いたつもりですが……う〜ん;
 って、本編長すぎ(‐‐;) 長編じゃないんだぞ、羽柴水帆(汗)
 本当はお正月にでもアップしたかったのに。書いても×2終わらなくて困りました;
 泉水さんとイサトくんが喋る喋る(笑) 障害の恋イベント三段階のエピソードなので泉水さんにも登場してもらった
 んですが……ゲーム中、泰継さんが『眠っている』糺の森に、神子を一人置いてそのまま帰ったんだろうかと
 思ってしまったんです;
 いえ、泉水さんの気遣いも尤もです! 泰継さんの恋愛イベントなんですから(^^;)
 ただやっぱり、泉水さんならこうしてくれるんじゃないかなーと、水帆なりの理想を込めてみました。
 で、泉水さん一人だと淋しいなぁと思った矢先、ふと『八葉花伝』を開いてみれば「あら、イサトくんの帰り道」(笑)
 という経緯がございました。
 でもよく考えてみれば、私の遙か2八葉1位が誰なのか判らない証拠って気もします;
 基本的に『八葉』は皆好きですし。遙か2では、玄武と乳兄弟が特に好きですね(笑)
 って! あとがきまでこんなに長くってすみません!!(自己嫌悪;)
 ここまで読んで下さった様、本当に本当にありがとうございました!m(_ _;)m

                                   written by 羽柴水帆


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