あま くだ
                天降ち‐彩雨の音色‐





 ――――天は、何を嘆くのか。
 ひとたび灰色の帳で陽光を覆い隠すと、決まって透明なる雫を地に降らす。
 空の悲しみが、地上を潤すのは、何故なのだろう――。




 朝の頃にはしとしとと静かだった雨音が、段々と勢いを増してきた。
「……雨、また強く降ってきたみたいだな」
 幼き星の姫の館の、とある一室で、横たわっている天の朱雀が言った。
 いつもは明るい太陽の如き双眸が、しかし今は、その上を、水分を含んだ白い布で覆われている。
「……うん」
 そのすぐそばで、正座している龍神の神子は、今にも泣きそうな顔で、小さく頷くことしか出来なかった。



 事が起きたのは、一日前だった。
 蚕の社の怨霊・蝶を、封印する際のことである。
(そろそろ、封印できそう――!)
 その頃合いを見計らっていたは、言霊を発しようとした。
「――っ!? っ、下がれ!!」
 天の朱雀の炎に悶え苦しむ怨霊・蝶が、妖しの羽根をはばたかせ、邪悪な粉を撒き散らしたのだ。
 咄嗟にの前に立ったイサトは、その靄が彼女に及ばぬよう、全身で守った。
「イサトくん!?」
 一瞬で視界のすべてとなった、彼の背中にしがみつく
「――っく……大丈夫だ。今のうちに、早く封印しろ!!」
 片腕で顔を覆うようにしながら、イサトが叫んだ。
 もはや蝶に反撃する余力は無い。
 は「う、うん!」と頷いて、表情を改めた。
『巡れ天の声、響け地の声。彼のものを封ぜよ!!』
 龍神の神子の声と、清らかなる神気によって、白銀の陣が描かれる。
 この地で穢れとなっていた怨霊は、封印されたことによって、その苦しみから解放されるのだった。
「……ふぅ、出来た」
 舞い降りてきた封印札を手中におさめ、は吐息を一つ零した。
「ちょっと手こずったな」
「うん――って、イサトくん! ごめんね、大丈夫!?」
 今日の戦闘でも、全力で守ってくれた彼に、は慌てて問いかける。
「ああ。大した怪我もしてねぇし、大丈夫だって」
 顔や手、腕などに傷をつくった天の朱雀は、いつものように明るく笑って見せた。
「やっぱり駄目だよ。顔とか腕、怪我してるよ。紫姫の館で、手当てしなきゃ」
 そのあちこちの傷に目をやりながら、が窘めるように言う。
「大丈夫だって言ってるだろ……――あれ?」
 そう言いかけて、突然イサトは赤い双眸を細めた。
「どうしたの?」
 が小首を傾げて訊ねると、
「……何だ? この霧?」
 ――そんな答えが返ってきた。
 は思わず「霧?」と、訊き返す。
「これ、霧だろ? 急にこんな白い……」
 怪訝そうな顔をして、周囲へ首を巡らせるイサト。
 は訳が解らなかった。
 今日の天気は晴れではなく、曇り空だが、自分の見渡す限り、霧など出ていない。
「私には見えないよ? どうしたの? イサトくん?」
「オレにも判んねぇ。何か、急に白い霧か靄みたいなのが、目の前に……っ!」
 細めた赤い瞳を、幾度となく瞬きさせると、今度は手の甲で擦り始めた。
「…………やべぇ。段々見えなくなってきた」
「え、えぇ!? そんな!?」
 が黄緑の双眸を丸くすると、イサトは「ちくしょう…!」と、更に目を擦る。
「イサトくん、擦っちゃ駄目だよ!」
 その腕を止めながら、の脳裏にある場面が浮かんだ。
(ひょっとしたら、さっきの怨霊の穢れのせい……!?)
 先程の蝶を封印する際、浴びてしまった穢れの粉のせいかもしれない。
「ね、イサトくん、やっぱり紫姫の館へ帰ろう!」
 この症状の原因が、正確には判らないが、絶対にその方がいいと思ったは、イサトの腕を引っ張る。
 帰り道、に何度も注意されながら、しかし目を擦るのを、イサトは中々やめられなかった。



 紫姫の館へ帰ってきた刻には、すでにイサトの赤い瞳は視力を失っていた。
 が彼の腕を引いて連れて来たことに、幼き星の姫は心底驚いた。
「神子様? イサト殿? 一体、どうなさったのですか?」
「紫姫、お願い! すぐに泰継さんを呼んで!」
 こうして、龍神の神子の悲痛な声に応え、陰陽師である地の玄武が、早急に館を訪れることになったのである。



「――私の顔が見えるか?」
 今は輝きを失った赤い双眸を、泰継は交互に診た。
「いや」
「では、何が見える?」
「何も。辺り一面、真っ白で何も見えねぇ」
 いつものような覇気もなければ、半ば諦めたような声に、泰継は「そうか」と答え、イサトの双眸の前に、手を翳す。
「痛みはあるか?」
「ああ。正直言うと、痛くて目を開けてるのも辛いんだ。閉じてても、痛いんだけどな」
 イサトの言葉を聴きながら、更に泰継は彼の双眸から何かを読み取ろうとしている。
 やがてその手をおろすと、地の玄武は微かな吐息をついた。
「泰継さん、あの、どうなんですか……?」
 二人の後ろで、紫姫と共に不安そうにしていたが、恐る恐る問いかける。
「……原因は、やはり怨霊・蝶の邪気だ。すでに怨霊自体を封印したのであれば、本来、継続されるものではない」
「じゃぁ、その邪気は祓えるんですね?」
 一筋の光を見出したように、は安堵の笑みを浮かべた。
 しかし泰継は、表情をややしかめたようだった。
「……場所が場所だ。一気に祓うわけにはいかぬ」
 穢れを受けたのは、瞳――焦って祓えば、返って危険らしい。
 陰陽師の青年は、持参してきた、両手で抱えられるほどの瓶を取り出した。
 が「それは…?」と訊ねる。
「清めの霊水だ。これを布に湿らせ、イサトの瞳の上へ乗せるのだ。時間がかかるが、今のところ、これしか方法は無い」
「わかりました。私にやらせて下さい」
 紫姫が用意した木の桶に水を注ぐ泰継のそばへ、が歩み寄った。
「……そうしてやれ。霊水に神子の神気が加われば、より邪気を祓う力が増すだろう」
「はい! あの、泰継さん」
 こくんと一つ頷いたは、確認するように問うた。
「邪気を祓えば、イサトくんの目は治るんですよね?」
「……完全に祓えれば、だ」
 泰継は常に無表情であり、声に波風も立たない。
 けれども、今ほど重たく感じることも珍しい。
「どれくらい時間がかかると思いますか?」
「……おそらく、今日一日では無理だろう」
 彼にしては珍しく、曖昧な、当たり障りのない言葉。
「じゃぁ、イサトくん。今日はここに泊めてもらいなよ、ね?」
 素直で、常に明るく振る舞おうとする少女は、見えないと解っていても、天の朱雀へ笑顔を向けた。
「――泰継」
 まるで、遮るように。
 痛みのせいで、赤い瞳を閉じたままのイサトが、泰継の名を呼んだ。
「ハッキリ言ってくれ。どれくらい時間がかかるんだ?」
 泰継とイサトの間に、沈黙が流れた。
「……判らぬ。本来、怨霊を封印したのであれば、呪は解けるはずだ。だが……瞳とは、人の身体の中で最も弱き場所。邪気が奥まで残ってしまったのかもしれない」
 イサトの表情は特に動かなかったが、と紫姫のそれは再び不安そうに曇る。
「すぐに治るという保証は出来ぬが、決して治らぬというものでもない」
「……つまり、治らねぇわけじゃねぇけど、この状態がいつまで続くか、判んねぇってことか」
 手探りで後ろに壁があるのを確かめてから、イサトはそれに寄り掛かった。
「すまない」
 泰継の口から零れたのは、飾りのない、素直な言葉。
「なに謝ってんだよ、らしくねぇな」
 そんな言葉とは裏腹に、イサトは笑ったようだった。
「人にはどうにも出来ねぇこともあるだろ。お前のせいじゃねぇんだから、気にすんなよ」
 イサトなりに、感謝をしているのだろう。
 この状況でそう言える彼は、尊敬に値する。
「……人、か」
 しかし――その言葉の一部は、泰継にとってもう一つの感情を生む、複雑なものだった。
「何だよ?」
「いや、何でもない」
 含みのある言い方が気になったイサトは訊き返したが、泰継はその真意を語ろうとはしなかった。
「では、今日はこれでひとまず失礼する。明日、明後日になっても変化が無い場合は、他の方法を考えよう」
「ああ。ありがとな、泰継」
 彼の声が聴こえてくる大体の方向を見て、イサトは礼を言う。
 瞼ごしのイサトの視線を受けた地の玄武は、静かに部屋を出ていった。





 その日の夕刻から翌日にかけて、重たく黒ずんだ雲が広がり、銀色の雨が降り出した。
 朝のうちはぱらぱらとした霧雨だったが、時が流れるにつれて、その勢いが強くなった。
 館の屋根と地上を打ち続ける、激しい水音。
 雨雲の上から、まるで滝が流れ落ちているかのようだ。
「……雨、また強く降ってきたみたいだな」
 幼き星の姫の館の、とある一室で、横たわっている天の朱雀が言った。
 空の太陽が、灰色の雲に覆われたのと同じように。
 彼の明るい双眸も、今は水分を含んだ白い布に隠されている。
「……うん」
 そのすぐそばで、正座している龍神の神子は、今にも泣きそうな顔で、小さく頷くことしか出来なかった。
 二人が口を閉ざせば、聴こえるのは、ザーッと止まらない雨音のみ。
 と、はイサトの目の上の布を取り、霊水の桶に浸した。
、お前、ちゃんと寝てんのか?」
 昨夜から、時折布を取り替えてくれた神子に、イサトは瞳を閉ざしたまま訊ねる。
「うん、寝てるよ。大丈夫だから、心配しないで」
 は明るい声で言い、波紋を描く水面から布を引き上げて軽く絞ると、冷たく冷えたそれを彼の瞼の上に戻した。
 自分のせいだと責任を感じたは、ほとんど一時間置きくらいに布を取り替えていたので、実は徹夜してしまったのだが。
「本当かよ? オレが見えないと思って、誤魔化してねぇだろうな?」
 微かに笑って言うイサト。

 ――ごめんね。

 思わずこみ上げてくる雫と共に、零しそうになった言葉を、は必死に呑み込んだ。
 昨日から、幾度となくそう謝ると、イサトは決まって言うのだ。
「だから、お前のせいじゃねぇって。八葉になった以上、それなりの覚悟はしてたつもりだし。それに、オレがお前を守りたくてやったんだ。後悔だってしてねぇよ」
 ――ゆえに、は泣かなかった。
 今苦しんでいるのは、自分よりもイサトの方だ。
 自分が泣いたり、謝ったりすれば、彼に気を遣わせてしまう。
「ううん、そんなことないよ」
 自分なりの精一杯を、は声に込めた。
「……なら、いいんだけどな」
「私より、今大変なのはイサトくんでしょ? まだ……目、痛い?」
「……ん。まぁでも、昨日よりマシになった気はする」
 その言葉も、含まれた笑みも、には無理をしているようにしか思えなかった。
「――イサトくん」
「ん?」
「無理、しなくていいんだよ。ううん、無理しないで」
 突然そんなことを言い出した少女に、イサトは「え?」と驚いた。
「いつも、イサトくんが言ってくれてることだよ。辛い時は……無理しないで」
「な、何言ってんだよ、?」
 イサトは思わず起き上がり、瞳を開けようとしたが、痛みがそれをとどめる。
「だって、今辛いのは、痛いのはイサトくんなのに。痛いって言えば、私が自分のせいだって気にすると思って、イサトくん、我慢してるでしょ?」
 正直、的を射ている彼女に、イサトは「なっ……!?」と言葉を失った。
「昨日から私が、そんなだからいけないんだよね。ごめんね。確かにまだ、自分のせいだっていう思いはあるんだけど――もう、大丈夫だよ。辛かったら、いくらでも言って。ね?」
 は優しい声と微笑みで言い、上半身だけ起こしたイサトの手に、そっと自身の手のひらを重ねた。
……」
 痛みを忘れたわけではないけれど、それでもイサトは薄らと瞼を持ち上げる。
 ――未だ、光を失ったままの瞳。
 やはり、少女の顔は見えない。
 天の朱雀は苦笑するように笑った。
「……お前にはどうしても甘えちまうから、甘やかすなって言っただろ」
 今度は、がくすっと笑う。
「私でよければ、甘えてくれていいよって、言ったよ?」
……!」
 彼女の顔は見えないけれど、声が聴こえる。
 重ねられた手のひらから、あたたかな想いが伝わってくる。
 イサトはまた、痛む瞳を閉じた。
 胸中に押し寄せる想いの波が渦巻いて、あふれ出して。
 彼の表情が悲痛に歪み――今にも、泣きそうな顔になる。
「イサトくん……」
 痛々しい姿の天の朱雀を、は思わず抱きしめた。
 彼の頭や肩を、優しく包み込む。
「……正直言うと……昨日からずっと不安だった」
「うん」
「こんなこと初めてだし、目はすげぇ痛いし」
「うん」
「いつ治るか判んねぇって言われて……もし治らなかったら、このままだったら、どうすりゃいいんだって」
「うん…」
 一つ一つ零されるイサトの思いを、は頷きながら受け止める。
 いつのまにか、イサトの閉ざされた双眸から、静かな雫が流れていた。
 ――今まで当たり前だったことが、そうでなくなったら。
 目の前から光が失くなったら――どんなに辛く、苦しく、悲しいか。
 何も見えなくなってしまったことで、彼がどんなにもどかしく、不安な思いを抱えたか。
 突き刺さるような痛みと共に、それを昨日からずっと、自分のために我慢していたんだと思うと、は胸が痛くなった。
「……でも、後悔してないってのは本当だぞ?」
「うん、ありがとう」
 ぐすっとしながら言うイサトに、は泣きそうになりながら、笑った。
「私のせいで我慢させちゃったんだね。ごめんね、イサトくん。でも――大丈夫だよ」
 大丈夫だよ――それは、きっと無責任になるから、言わなかった言葉。
「邪気さえ祓っちゃえば、治るよ。泰継さんも居てくれるし、それに……私も居るから。龍神の神子の名にかけて、絶対邪気を祓って、イサトくんの目を治すから」
 実のところ、には確実な根拠も自信もない。
 自分を神子らしいと思ったことなど無いから、『龍神の神子』の名を使うこと自体、好きではないし、今までもしてこなかった。
 けれど、今回のことは神子としての責任があると思うから。
 自分のせいだと責め続けて彼に気を遣わせるよりも、そう思うなら彼の目を治す努力をした方が絶対にいい。
 の中で、強い決意が固まったのである。
 彼を安心させたい一心で、もう一度優しく抱きしめ直した。
 そんな彼女に、イサトは感謝と安堵を感じた反面、複雑な思いをも抱く。
「……ん。ありがとな」
 ゆっくりと、の腕の中から身を起こした。
「……イサトくん?」
 すぐに顔や身体を背けた少年に、が呼びかける。
「あの、ごめんね……何か、偉そうっていうか、無責任だったかな……」
 勘違いをしてしまう少女を、イサトは「いやっ、そうじゃなくて!」と遮った。
「やっぱオレ、お前に甘えちまって、弱音出しまくっちゃって……その……!」
 懸命に逸らしているつもりの彼の顔は、紅く染まっていた。
 弱い自分をさらけ出してしまったこと。
 の優しい温もりに包まれたこと。
 そのすべてが、嬉しくもあり、またどうにも気恥ずかしかった。
 はふっと笑みを零す。
「だから、そんなこと気にしなくていいって」
 明らかに彼女は、イサトの真意を完全に理解していなかった。
「そうもいかねぇこともあるんだよ! 男としては!」
 胸中を埋める複雑な感情の片鱗を、イサトは思い切り吐き出す。
 そのままくすくすと聴こえてくるの笑い声に、イサトは何とも決まりが悪くなり、再び横になった。



 ――沈黙に紛れて訪れたのは、未だ止まない天の涙の音。
 けれども先程と比べると、その音は和らいできていた。
「……なかなか止まないね、雨」
「そうだな……。オレさ」
 が向けた視線の先には、また霊水の布を双眸に乗せて横たわっている、天の朱雀。
「雨って、好きでも嫌いでもなかった。まぁ、外へ出る時は色々都合悪くなったりするから、どっちかっていうとやっかいだなって思う程度だった。でも……」
 昨日から感じていたものを、言葉にする。
「この雨は、何だか……ありがたかった」
 ゆっくりと心の中で、イサトは瞳を開け、雨の降り注ぐ空を見上げた気がした。
「見えなくなったら、その分、音がよく聴こえるようになってさ」
 昨夜から降り出した雨は、弱くなったり強くなったり。
 常に変化のある音色を奏でていた。
「見えない今のオレにとって、何にも聴こえねぇのが……怖かったから。昨日から降ってる雨の音が、何て言うか、嬉しかった」
 ほぼずっと彼のそばに居たは、彼が眠るのを邪魔しては悪いと、極力声をかけなかったのだ。
 それが返ってよくなかったかな、と思ったが問いかけてみる。
「いや、そんなことねぇよ。オレとしては、お前に弱音を見せたくなかったから。雨の音だけ聴いてて、気持ちを落ち着かせることも出来た」
 今となっては結局甘えてしまったけど、と、イサトは苦笑を含みながら答えた。
「よくよく考えたら、こんなに静かに雨の音を聴いたのは初めてだな」
 は「うん、私も……」と頷くと、ふと思いついた言葉を口にする。
「ひょっとしたらこの雨は、イサトくんのために降ってるのかもね」
「え?」
「イサトくんの痛みを空も感じて、泣いてるのかもしれない。イサトくんの、せめてもの慰めになるように、雨の音を届けたかったのかもしれないな、なんて……」
 雨が降る原理とかは、関係なかった。
『雨』とは、すなわち――天の水。
 天は、人と大地を思うがゆえに、涙を流すのかもしれない。
 地上の乾きを哀れみ、人の痛みを癒やすために。
「って、変なこと言っちゃったかな? ごめんね…!」
 イサトからの反応が返ってこないので、はハッとして焦ってしまう。
「いや、そんなことねぇよ。ただ、今まで考えたこともなかったから」
 驚いただけだと、そう言ってイサトは微かに赤い瞳を開けて、微笑んだ。
「でも、そうだったら……嬉しいと思うぜ」
 その笑顔がすごく優しくて、「うん」と頷いたは、目頭が熱くなるのを感じた。




 ――それは、空がほとんど泣きやみ始めた頃だった。
(お願い――どうか治って)
 龍神の神子が、何度も何度も祈りと願いを込めて、浸した霊水の布。
(イサトくんの瞳に、光を還して――!)
 天と、少年の瞳に届くよう、少女は清らかなる想いを解き放ってきた。

 ――――……っ!?

 その刻、少年は『まぶしい』と感じて、強く目を瞑る。
(まぶしい……?)
 不思議に思ったのは、それだけではなかった。
 今まで双眸を覆っていた、突き刺してくる痛みが――消えている。
 そぉっと静かに恐る恐る、イサトは強く閉ざした瞼を持ち上げてみた。
「……イサトくん……?」

 ――――光が、還ってくる。
 色彩が、よみがえる。
 ただ白い闇に霞んでいた世界が、ぼやけながら、形を取り戻していく。

「………………?」
 開いた視界に飛び込んできたのは、大きな黄緑色の瞳を丸くして見つめてくる、珊瑚色の髪の少女。
「イサトくん、目…!?」
っ!!」
 治ったのかを問おうとした少女の肩を、突然イサトが掴んだ。
 驚いて双眸を瞬きさせるの顔を、赤い瞳でじっと見つめる。
「……見える。、お前の顔が見える!!」
 夢でも幻でもないことを、確かめたかった。
「イサトくん…っ! 治ったの……?」
 は自身の双眸を潤ませて、訊ねる。
「ああ! ちゃんと、お前も、この部屋も、庭も。空も見えるぜ! !!」
 イサトが首を巡らせれば、そのすべての景色が見えた。
 大切な少女の名を呼び、イサトは喜びにあふれる想いに任せて彼女を抱きしめる。
「イサトくん……イサトくん! よかったね……っ!!」
 生き生きと輝く、太陽のような瞳。
 間違いなく、の大好きな瞳だった。
 ほっとして、嬉しくて、足の力が抜けそうになる。
 抱き竦めてくれた彼の背を、からも抱き返して、綺麗に澄んだ雫を瞳から零した。



 哀しみの雨を降らせていた空が、泣きやんで。
 灰色の雲に覆われていた太陽が、地上へ希望の手を差し伸べる。
 それに操られるように、空気中で踊る光と水が、七色に輝く雨あがりの約束を結んだ。

 時に強く激しく、時に弱く優しく、天が降らす水の音色は。
 人と地上へもたらされる、彩りと恵みなのかもしれない――――。





              




                       end.




 《あとがき》
 彩亜様にキリ番19000でリクして頂いた『遙か2乳兄弟ドリーム』の、イサトくん版でございます;
 本当は勝真さんとイサトくんの分岐ドリにしようと思っていたのですが……。
 こうしたのには、ちょっと訳があったりします。
 実は、水帆の大好きな高橋直純さんが去年の夏ライブツアー中に、『角膜剥離』という目の病気になって、
 一時期、見えなくなってしまったことがあったそうなんです;
 恥ずかしながらライブのDVDを買って見て、初めて知ったのですが……すごくすごく痛々しかったです。
 いつも明るく頑張っている直純さんが、本当に落ち込んでいて。
 眼帯をしつつ、もう片方の目も閉じた状態でリハーサルや本番をこなしていく姿が、また何とも言えない
 気持ちになりました。幸い、すぐに治ってくれたのでよかったです。
 …ということがあり。『怨霊の穢れかなんかで、目が見えなくなっちゃうイサトくん』を思いつき(笑)
 それに目が見えなくなると、音とかよく聴こえるだろうなぁなんて思ったら、こんな話が出来上がりました(笑)
 拙いながら、色々込めたつもりです。
 そういえば今回、さまだけでなく、イサトくんも泣かせてしまった…(直純さんも泣いてらしたので、つい…/笑)
 彩亜様。大変長らくお待たせしてしまって、すみませんでした(><;)
 勝真さんの方も頑張ります; 水帆にリクして下さってありがとうございました!

                                               written by 羽柴水帆