黄昏の海、暁の空
――――今日もまた、西の彼方に陽が落ちる。
刻む時は黄昏に。
落ちゆく灯りは、世界を夕映え色に染めあげる。
――夕暮れの海辺を、ひとりの少女が歩いていた。
黄金の水平線をしばらく眺めていた彼女は、やがて砂浜に腰をおろす。
昼間は熱を持っていたはずのそこも、今はすでに冷めきっていた。
潮風に靡く秋桜色の長い髪、鮮やかな緑の瞳。
かつては源氏と平家の合戦で名をあげた、凛々しき白龍の神子である。
しかし――今の彼女の瞳に、その時の輝きは無い。
彼女の表情に、明るさは無い。
「…………敦盛さん…………」
ざん、と打ち寄せる波間に、ぽつりと零した音の雫がさらわれる。
無情にも流れる時の中で。
刻々と冷たくなる海風と、夕波の潮騒だけが神子を取りまいていた。
――あの刻から、もう何度目の黄昏なのか。
天で輝く陽光が、地上を照らし終えて燃え尽きる瞬間。
茜色の魂となって、西の空と海の果てに溶けてゆく。
明くる日に、新たな太陽が東天の狭間から生まれ変わっても。
少女の本当の意味での、『夜明け』は来ない――――。
「――」
波音の合間から、聴き慣れた声がする。
蹲って伏せていた顔を上げると、この世界で出会った『親友』と呼べる少女の姿があった。
「朔……」
長き戦が終わり、役目を終えたあとも、はこの京にとどまることを選んだ。
そんな彼女を常に支えてきたのが、朔だった。
鎌倉の屋敷にの部屋を宛い、彼女が厳島へと赴く時も、こうして同行してくれる。
そしてしばらくの間は、気を遣ってひとりにしてくれた。
――今日もまた、厳島の舞台に何の変化もなかった。
「寒くはない?」
「うん、平気」
は気づかないが、潮風にあたり始めてからかなりの時間が経っている。
「そろそろ日が暮れてしまうけど……まだここに居たい?」
朔は決して、に「帰ろう」と促すことはしなかった。
「……うん。ごめん、もう少しだけ」
「わかったわ」
申し訳なさそうに言うに、朔は嫌そうな顔ひとつしない。
より少ししか年上でないのに、その微笑みは大人びた優しさを帯びていた。
「朔…!」
は、思わず親友の名を呼ぶ。
朔が「なに?」と訊き返すと、長い秋桜色の髪を持つ少女は俯いてしまう。
「……ごめんね。何から何まで迷惑かけて、心配させちゃって」
朔は、金褐色の瞳を二度ほど瞬きさせる。
微かに笑って吐息をひとつ零すと、の隣りに腰をおろした。
「いいのよ、そんなこと気にしなくても。私が、あなたの役に立ちたいと思ってやっているのだから」
「朔……」
「それに……解るもの、あなたの気持ち」
その刻、かつて黒龍の神子と呼ばれた少女の、短めな雀色の髪が潮風に揺れた。
「何より大切で愛しい人に置いていかれてしまう辛さも、離れ離れになってしまう悲しさも、淋しさも」
その言葉にはハッとする。
――彼女も、そんな胸の張り裂けそうな思いを抱えていたのだから。
朔は一瞬、微笑とも苦笑とも思える表情を浮かべると、服についた砂をさらさらと払いながら立ち上がる。
「でも、これからもっと風が冷たくなるから、本当にもう少しだけよ。またあとで迎えに来るわ」
「……うん。ありがとう、朔」
緑の瞳に込みあげてくるものを抑えるように。
はようやっとの思いで、笑みを礼の言葉と共に紡いだ。
(朔は、今までずっとこんな思いをひとりで……)
彼女が去ってから、は胸中でつぶやく。
自分も彼女の心を少しでも支えてあげられていたら、いいのだけれど。
「――敦盛さん……!」
ふいに淋しさが限界を貫いて、視界が揺らぐ。
目の前の黄金に輝く海が、突然自分の周りにあふれ返ったように思えた。
『あなたは言った。私がこうしてよみがえったことに、何か意味があると。そしてそれは、こういう意味だったのかもしれない』
そう言って嬉しそうな、誇らしそうな微笑みをたたえて――彼は、消えてしまった。
「私……そういう意味で、言ったんじゃないよ」
彼も――敦盛も、本当は解っていたのかもしれない。
それでも、『そういう意味』にしたかったのだと思う。
その刻は、そうすることでしか世界を救えなかった。
敦盛は、の八葉として役立つことを常に望んでいた。
自分が『最初で最後の怨霊』になると、たったひとりで。
平家の歪んだ旅路を、終着に導いた。
「でも……でも! やっぱり違う! 違うよぉ……っ!」
大粒の涙をあふれさせて、は膝を抱え込む。
――彼の成し遂げたことは、立派で偉大だと思う。
彼らしい優しさと意志の強さは誇らしいと思う。
けれども――逢えなくなるのは、とても辛い。
敦盛に消えてほしいわけでは、決してなかった。
「私っ、私は、敦盛さんがよみがえったのは――!!」
記憶の海から、いつかの波が織り返すように打ち寄せてくる。
『私の力で、あなたを守ることができたのなら、私は――よみがえって、よかった』
滅多に見せることのない、穏やかな笑顔で。
涙が出てくるほど、嬉しい言葉だった。
「私は、敦盛さんがよみがえったのは、きっと敦盛さんが幸せになるためだって、言いたかったのに……!!」
彼が怨霊であるから、なんて関係なかった。
でも彼にとっては現実の問題だから、無責任になってしまうかもしれないから、ハッキリ言えなかった。
――それでもやっぱり、その気持ちに嘘はなかった。
は嗚咽を漏らしながら、朔に借りた衣の懐から、小さな土鈴を取り出す。
それは、敦盛との想い出の品。
軽く揺らすと、土鈴ならではの可愛らしくてあたたかみのある音が聴こえてくる。
「敦盛さん、敦盛さん……!!」
自分の無力さが悔しくて。
敦盛に、逢いたくて。
彼の名を何度も呼びながら、鈴を握りしめた。
――――……――――
何かの『音』が聴こえたような気がして、は双眸を見開き、顔を上げる。
左右に首を巡らせてみるが――何も、誰も居ない。
風の勢いで、自分の持つ鈴が鳴ったのかもしれない。
小さな溜め息をついて、はちりちりと鈴を揺らした。
――――……――……――――
と、まるで『音』を返すように、微かな何かがやはり聴こえてくる。
それはの鈴の音と重なるように響いてきた。
京の守護神である白龍の力が発動する刻とは、違う鈴の音だ。
(まさか……もしかして……)
確かな根拠もないけれど。
はいてもたってもいられなくなって、走り出す。
その『音』は、気のせいなのか否か――舞台の方から聴こえてくるように感じた。
「敦盛さん!?」
いつ来ても、誰も居ない舞台に駆け込むと――――。
走ってきたせいで乱れた息を零しながら、辺りを見回す少女の瞳に、『彼』はおろか、人の姿すら映ることはなかった。
「やっぱり……気のせいだったのかな」
あまりにも、彼に逢いたいと強く思ったから。
苦笑しようと思って零れてきたのは――瞳の海の欠片。
「……っく……敦盛さん……!!」
耐えられなくなって、はその場に泣き崩れる。
と――その刻また、ちりちり、と小さな鈴の音が響いた。
「え……」
の鈴は、彼女自身が強く握ったままなのに。
「――――……神子……!」
「えっ………?」
幻聴だと思った。
潮風が奏でた、都合のいい幻聴だと。
「神子……!!」
(あ……――――)
そして幻かと思った。
だって、何度ここへ来ても、逢えなかったから。
黄金色に煌めく空と海を背に、彼が駆けてくる。
何よりも大切で、誰よりも愛しい『平 敦盛』その人が――。
「あ……敦盛…さん……?」
涙の残る瞳を大きく見開いて、が呆然と訊き返す。
「あ、ああ、私だ……神子、判らないか……?」
一瞬、本当にそうか判らなかった。
だって、紫色の綺麗な髪をといた姿を、一度も見たことがなかったから。
でも――戸惑ったような、不安げな顔と声で立ち止まる姿は、『彼』に間違いなかった。
「――敦盛さん!!」
は、勢いよく立ち上がって駆け出す。
その姿が、敦盛にはまるで羽ばたいた美しい鳥のように見えた。
泣きながらも笑って、笑いながらも泣いて、少女は敦盛の胸に飛び込む。
「敦盛さん、敦盛さぁん……!!」
こうして逢えたことが、彼がここに居ることを確かめられることが、信じられないぐらい嬉しくて。
今までの思いがすべてあふれ出して、は泣きじゃくった。
「神子……」
敦盛はこの現実を、夢か幻ではないかと未だに思いつつも、そうであってほしくないのが本心で。
ずっと躊躇っていた両腕で、大切な少女を抱きしめた。
――怨霊であった自分に何の隔てもなく、あたたかく接してくれた。
そして、「好き」だと言ってくれた――愛しい人。
その彼女をこんなにも泣かせてしまったことが、敦盛は心苦しくなった。
「神子、すまなかった。私は……あなたのためならこの身など、どうなってもいいと思っていたのだ」
元々怨霊としてよみがえった我が身――それなら、神子と京を守るために役立って消えるなら、それでいいと。
ぐすぐすと嗚咽を漏らすの秋桜色の髪を、敦盛は出来るだけ優しく撫でる。
「だが、消えたはずのあと……あなたの涙声と、鈴の音が聴こえた」
はハッとして、彼の顔を見上げた。
「あなたとふたりで買った、あの鈴の音だ」
そう言って少女を見つめ返す彼の表情は、どこか困ったような微笑みで。
それが照れているのだと、は判るようになっていた。
「敦盛さん……」
「その、初めは、あなたが、私が消えたことを悲しんでくれるとは――私に逢いたいと、そこまで望んでくれるとは……思わなかった」
「そんな、どうして……私、敦盛さんが好きって言ったのに……!」
もちろん彼の謙虚さがそう思わせたのだということは、解っていた。
しかし、ようやくおさまりかけていたの涙が、どうしてもあふれ出す。
「す、すまない、神子……!」
敦盛は焦って、けれども優しく少女の涙を拭った。
「だが、その……あなたが何度も私を呼んでくれたから、あなたの元へ還りたいと思ったんだ」
「え……私の、声……」
「ずっと、聴こえていた」
その瞬間の敦盛の声と瞳は、透き通るように凛々しかった。
「ありがとう、神子。その……とても、嬉しかった」
そして微笑んだ様は相変わらず、女の子であるから見ても可愛らしかった。
「敦盛さん……!」
彼が喜んでくれることが、笑顔を見せてくれることが、にとって何より嬉しい。
笑顔を弾けさせて、ぎゅっと敦盛の胸に抱きついた。
「あ、あの、神子……!」
彼女のそんな仕草に、敦盛の鼓動が少なからず騒いだ。
「あなたをこんなに悲しませてしまった私に、その資格があるのかは判らないが……消える前に伝えられなかった言葉を、今……口にしても、いいだろうか?」
今度はの鼓動が、静かに大きく高鳴る。
ゆっくりと顔を上げて、綺麗な紫色の双眸を持つ彼を見つめる。
神子の煌めく緑の瞳の中に自分の姿を見つけると、敦盛はいよいよ勇気を振り絞った。
「私は、あなたが――――好きなんだ」
癖のない紫の髪から、垣間見える紅い顔。
嬉しさと、せつなさと、愛しさと。
胸中の海から流れる想いが、光る雫となって、少女の笑顔を輝かせた。
――――今日もまた、陽が落ちた。
しかし、明日生まれてくる光は、間違いなく希望に満ちている。
かつて彼が消えた、厳島の向こうの、黄昏の海。
無情にも思える時が流れゆき――ようやく少女に、本当の『夜明け』が訪れる。
ふたりは再び巡り逢い、暁の空を迎えた。
end.
《あとがき》
敦盛さん創作第一作目であり、姫祢様が主催された『平敦盛生誕祭―青葉の音―』へ
投稿させて頂いたものです;
遙か3のEDの中でも、敦盛さんのは一番「プレイヤーの想像に任せます」みたいな
感じでしたよね。彼がどうやって戻ってくるのか、ハッキリと描かれていなかったので
私なりに「こうかなぁ?」と思って書いてみました。
3の八葉も、これまたみんな大好きなのですが(笑) 水帆的にかなりヒットだったのが
敦盛さんです。一番感情移入してプレイできた(泣いた/笑)気がします。
そんな敦盛さんへの想いを、一生懸命込めたつもりです;
読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m
written by 羽柴水帆