――夢を見た…。
 白き翼を持つ少女が、自分の前に降り立つ…。
「天使……」
 少年は自身の発した呟きに目を覚ました。


 リモージュの治める宇宙に、突如「皇帝」を名乗る者が現れた。一時は女王・補佐官だけでなく、守護聖全員が捕らわれの身となった。が、先の女王試験で見事新宇宙の女王となったアンジェリーク、そしてその際の教官・協力者たちにより、守護聖たちの救出に成功した。そして……。


 まだ昼間だというのに、薄闇が周囲を覆っていた。頭上で輝いているはずの太陽の光も、濃霧にさえぎられ、地上まではとどかない。動物たちも息をひそめているのだろうか。辺りは沈黙に支配されている。
「アンジェリーク、あんまり俺から離れないで。この霧じゃ、迷子になったら大変だよ」
 少し癖のある茶色の髪を揺らして、少年は少女を見やった。晴れわたった空を思わせる青い双眸が、濃霧の中輝く。
「はい、ランディ様。それにしても、凄い霧ですね」
「そうだね、さっきまではここまでひどくはなかったのに。やっぱりこの森には、魔物がいるのかもしれない……」
 そう言って、少年――ランディは、天空を振り仰いだ。
 アンジェリークたちは、物資の補給と休息を兼ねて『深き霧の惑星』に立ち寄った。そこで耳にした魔物のでる森の話――。不吉なものを感じとったアンジェリークは、その森に行くことにした。そこを風の守護聖・ランディにみつかり、最初は「危険だよ」と止められた。が、彼女の青緑の瞳が風の守護聖を真っ直ぐに映すと、彼はそれ以上何も言う気になれず、自分もともに行くという条件つきで、首を縦に振ったのである。
「……ごめんなさい、ランディ様。私が、森に行きたい、なんて我が侭を言ったりしたから……」
 少女――アンジェリークが、うつむきがちに言った。大きな双眸に光の雫がたゆたっている。
 それを見た風の守護聖である少年は、少々慌てたような声を上げた。
「そ、そんな、我が侭だなんて、俺がキミの立場なら、やっぱりここに来たと思うよ。だから、その……!」
 若々しい頬を上気させつつ言葉をさがすランディに、アンジェリークは小さく笑みをこぼした。
「あ、ご、ごめん。何かわけわかんないこと言っちゃったね」 
 天使を意味する名を持つ少女は、白く細い指で目元と払うと微笑む。
「いいえ、ありがとうございます」
 やっと笑ってくれた少女に、ランディは胸を撫で下ろす。

 変だな、俺。アンジェリークの涙が、とっても綺麗に見えた。

 そんなことを思っていたランディの耳に、かすかだが、物音が飛び込んできた。
「誰だっ!?」
 突然、先ほどまでとは違った声を上げたランディに、アンジェリークは身体をわずかに震わせる。
「アンジェリーク! さがって! 何かいる!!」
「えっ!?」
 少女を背後にかばい、風の守護聖は晴れわたった空を思わせる青い瞳を眇めた。
 ガサッ、と草木が揺れる。
 アンジェリークはランディの背後で、緊張に身体を硬くしていく。
 やがて二人の前に一人の青年が現れた。服装からして村人のようだ。
 青年はアンジェリークたちの姿を認めると、安堵の笑みを浮かべる。
「あぁ、人でしたか。魔物だったら、どうしようかと思いましたよ」
 その様子に、ランディたちは思わず肩の力を抜いた。
「あの、失礼ですが、あなたは?」
「あ、すみません、私はこの近くの村に住む者なんですが、霧のせいで道に迷ってしまって……気がついたら、この森に迷い込んでしまっていたんですよ」
 そこへアンジェリークたちの声が聞こえ、ここまでやってきたという。
「大変でしたね。魔物には遭遇しなかったんですか?」
 アンジェリークが心配そうに問いかけた。    
 青年は笑ってみせる。
「ええ、運がよかったようです」
 霧が流れる。風がでてきたようだ。青年の方から吹き付けてくるそれを感じとった時、風の守護聖である少年は双眸を見開く。
「……アンジェリーク、さがって」
「え? どうなさったんですか?」
 ランディは一歩踏み出した。青い瞳が苛烈なまでの光を放っている。 
「こいつは、人じゃない!」
『えぇ!?』
 アンジェリークと青年が驚愕の声を上げた。
 青年は一瞬呆然とし、二瞬目には憤慨したように叫んだ。
「な、何を言うんです!?」
「ランディ様……?」
 少女の視線を横顔に感じつつ、ランディは不敵な笑みを浮かべる。
「うまく化けたようだけど、風にのる匂いまではごまかせないぞ。お前の身体から血の匂いがする!!」
 血の匂い、という言葉に、アンジェリークが鋭く息を呑んだ。
 青年はそれ以上自分を偽ろうとはしなかった。先ほどまで浮かんでいた善良な村人の表情が消え、憎悪と悪意が剥き出しになる。底知れぬ嘲笑が口元に浮かんだ。
「――まさか、こうも早く正体がばれるとはな……」
 ランディは愛剣を鞘ばしらせた。刀身がわずかに銀色に輝く。
 青年が笑みを深くする。
「ほう、この俺と戦おうというのか。勇ましい坊やだ」
「いくぞっ!」
 少年が地を蹴った。裂帛の気合とともに、長剣を撃ち込む。青年が上半身をひねって刀身をかわした。そのまま前進しそうになる足を踏み止めて、ランディが振り向きざまに剣を水平に払った。大気と霧の両方を斬り裂いた一撃は、無人の空間をとおりすぎる。
「――!?」
「ランディ様!? 上です!?」
 アンジェリークの声に、とっさにランディはその場から跳び退いた。
 二秒前まで彼のいた場所を、真紅の炎が焼き焦がす。そこから少し離れた場所に青年が降り立った。
「やるじゃないか。これはなかなか楽しめそうだな」
 大地を舐めつくしている炎の熱気を受けつつ、風の守護聖は大きく息を吐き出した。青年が小さな声で何かを呟き始める。それが魔法の詠唱だと、いち早く気づいたアンジェリークは、自分もそれを唱え始める。
「――万物に強さをもたらす紅蓮の炎よ。精霊の導きに従いて、我が前に立ちはだかりし者に、真紅の裁きを!!」
 アンジェリークよりも先に、青年が右手を突き出す。
「炎よっ!!」
「真紅の弾丸!!」
 ランディに向けて放たれた炎に、アンジェリークの放ったそれが激突した。二つの炎は互いに消滅する。吹き付けてくる熱気から、片腕を上げて顔を守ると、ランディは天使を意味する名を持つ少女に笑いかけた。 
「助かったよ、アンジェリーク!」
 アンジェリークも笑顔で応える。
 青年がさらに笑みを深くした。見ていたランディとアンジェリークは、戦慄の波が霜となって背中に滑り降りるのを感じた。
「仲がよろしいことだな……やはり死ぬ時は一緒の方がよろしいか?」
「何をっ!!」
 再びランディが地を蹴る。青年が次々と放つ炎を全てかわし、剣が振り下ろされる。

 ガッ……!!

「――なっ……!?」   
 少年の口から、少量の吐息と赤い液体が吐き出される。見れば巨大な蛇が彼の腹部のあたりに喰らいついているではないか。
「!?」
 アンジェリークが声にならぬ悲鳴を上げた。
 大蛇がランディの身体を投げ捨てる。虚空に赤い模様を描きながら、彼の身体は大地に沈み込んだ。
「っかは…!!」
「――ランディ様ぁぁっ!?」
 アンジェリークが弾かれたように、倒れ込んだ少年の傍に駆け寄った。
 先ほどまで青年の姿をしていた大蛇が、物がこすれあうような音とともに声を発した。血塗れた牙が、不気味に光る。
「ククク……悪いな、坊や。これが俺の本当の姿だ」
 牙の痕から鮮血が溢れだし、一瞬ごとにランディの身体を真紅に染め上げていく。
「ランディ様!! ランディ様!!」
 少女の青緑の双眸から、大粒の涙がこぼれだして頬をつたった。
 ランディの身体がかすかに動く。
「……アンジェ…リーク……いいかい…よく聴いて……」
 アンジェリークにしか聞こえないような小さな小さな声が、ランディの口から発せられる。その言葉が耳に達すると、アンジェリークは瞳を全開にした。
「そ、そんな!? 無茶です!? もし失敗したら――!?」
 ランディは上体を起こしながら、微笑する。
「……アンジェリーク、迷っている時間はない。俺を――信じて」
 アンジェリークは、ランディの晴れわたった空を思わせる青い双眸に映る自身を見つめると、大きく頷いた。風の守護聖は弱々しく、だが、確かな笑みを口元にたたえる。
 大蛇が笑う。自分の勝利を確信しているようだ。
「……別れの挨拶はすんだか? もっとも、どうせすぐに同じ所へ行くのだから、挨拶など、必要ないがな」
「そいつは……どうかな!!」
 ランディが愛剣を握りなおしながら叫んだ。
 アンジェリークは指先で光の雫を散らすと、ロッド・『蒼のエリシア』を握り締めた。
「――天と地を駆けし、大いなる風よ。精霊の御名において、我が前に渦巻きし大気を一条の矢となさん!!」
 ロッドが大蛇へと向けられたのと、ランディが動いたのは、ほぼ同時だった。
「疾風の矢!!」
 大気が鋭く鳴り、風が矢となって大蛇に襲いかかる。
「どこを狙っている!」
 大蛇は蛇身をひねって風の矢をかわした。と、それを待っていたかのように、風の守護聖が叫ぶ。
「風よっ!!」
 大気が再び鳴った。風にのった霧が大きく動き、まるで意思あるもののように大蛇を取り巻く。それが狼狽に満ちた声を上げた。が、言葉としての意味をなさない。
「これで――終わりだっ!!」
 ランディが長剣を振り下ろす。刀身が銀色の軌跡を生み出した。
 少年と少女が見つめる中で、大蛇はその身体を光の粒子へと変え、天へとのぼっていく。
 澄んだ金属音が響いた。長剣が地面で回転する。ランディの身体がゆっくりと崩れ落ちた。
「!? ランディ様!?」
 アンジェリークが慌てて駆け寄った。真紅に染まった少年を抱き起こし、必死で呼びかける。
「ランディ様! ランディ様!!」
 目を開けることすら辛いのか、ランディは青い双眸を閉ざしたまま言った。
「……ありがとう…俺を……信じてくれて」
 風の守護聖であるランディは、ある程度ならば風を自由に操れる。彼はアンジェリークの放った疾風の矢を利用し、大蛇の動きを封じたのである。が、それは危険な賭けでもあった。ランディの体力的に一回が限度であったのだ。
 苦しい息の下ささやかれた言葉は、少女の心にあった想いを解放した。
 透明な輝きが波となって頬をつたう。アンジェリークの瞳から、先ほどを上回る勢いで涙があふれだした。
「ランディ様……!!」
 アンジェリークはあふれる涙を拭いもせずに、ランディの身体を抱きしめる。
「――我求むるは、癒しの御手。その神秘の力もて、命の輝きを救いたまえ……」
 やわらかな光がランディを包み込んだ。


 あぁ…あたたかい……。

 ぼんやりとしていた意識がしだいに覚醒していく。うっすらと開かれた青き瞳に映るは、白き輝き――。
 夢で見たのと同じ、純白の光――。
「――天使……」
 やがてその輝きが一人の少女となる。
「…アンジェ……リーク…?」
「ランディ様!!」
 ランディはゆっくりと上体を起こした。少しばかり身体がだるいような気がするものの、傷も痛みも嘘のように消えていた。
 と、アンジェリークは彼の身体に抱きつく。
「ア、アンジェリークッ!?」
「ランディ様……よかった……」
 アンジェリークは、新たにこぼれだした涙で頬を濡らした。
 数瞬の間、呆然としていたランディだったが、やがて少女の身体を両腕でそっと包み込んだ。愛しかった。今自分の腕の中にいる存在が、他のどんなものよりも、愛しかった。

 …何をいまさら……。

 ランディは口元をほころばせた。
 気配で察したのだろう。どうなさったんですか、とばかりにアンジェリークが彼を見上げた。
「あ、ごめん。いやさ、さっきキミが天使に見えたんだ。だから、変だな、と思ってさ」
 風の守護聖である少年は、自分を見上げてくる、天使を意味する名を持つ少女を見下ろした。
「キミが俺の天使だなんてこと、とっくの昔にわかってたのに――」
「――ランディ様」 
 二人の身体がほのかにあたたかくなる。霧が晴れ、陽光が地上へと降り注がれてきたのだ。さわやかな風が少年と少女の髪をそよがせ、草木を揺らしていた……。


 ……宇宙を救う旅は、まだまだ続く。でも、何も恐れるものなんてない。俺には、キミという天使がいるのだから――。




                         −Fin−



  <あとがき>

    ・初の恋愛小説です(−−;)どこがだぁ!! ・・・という感じですね。
     「お前、これで恋愛のつもりかよ!? 笑わせてくれるじゃねぇかっ!!」と、誰かがつっこんでいる(笑)
     設定が無茶苦茶で魔法の詠唱まで勝手につくってしまいました。すみませ〜ん!!
     それから、ランディ!! いきなりこんな話でごめんね〜!!

                         2001.9.4    風見野 里久



                         


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