木漏れ陽の約束





 天から降りそそぐのは、あたたかな陽の光。
 ――かつての危機を乗り越え、新たな女王試験が始まった宇宙の聖地は、今日も穏やかな天気に恵まれている。
(アンジェリークが、女王になったから……だな)
 日の曜日であるこの日、風の守護聖である少年が、聖地の森を訪れていた。
 木々の枝葉に囲まれた青い空を見上げ、片手でまぶしい光を軽く遮ってみる。
 ――以前『彼女』とも、こことよく似た場所へ行ったことが、何度かあった。
 そう思いながら、ランディは端正な顔を、せつなげな笑みで翳らせた。
 と、その刻である。
「きゃっ……!?」
 どこからともなく――と言うよりは頭上から、ガサッと枝葉の揺れる音と一緒に、短い悲鳴が聴こえた。
 はらはらと、数枚の木の葉まで落ちてくる。
 ランディが瞬時に顔を上げ、梢を見上げるかたちになれば――。
「へ、陛下っ!?」
 青空色の双眸に飛び込んできた光景に驚いた。
 なんと金の髪の女王が、樹の枝から落ちそうになっているのである。
 いつもの神々しいドレス姿ではないが、ふわふわとした柔らかな金の髪を持つ少女は、彼女に間違いなかった。
「え? ら、ランディ? あっ…――!?」
 すでに足が宙を漂っていて、片手で何かを抱えているらしい女王は、もう片方の腕だけで枝にしがみついていた。
 風の守護聖の声に反応した瞬間、その力が緩んでしまったらしい。
「うわぁーっ!?」
 間に合ってくれ、と胸中で叫びながら駆け出し、ランディは精一杯腕を伸ばした。
 ――幸い、間一髪だった。
 ランディが天使を受け止めた瞬間、ふわりと羽風が舞い降りる。
「せ、セーフ……〜〜〜」
 心の底から深く、安堵の吐息を絞り出す。
「ご、ごめんなさいね、ランディ。――ありがとう」
 落ちる、と思った瞬間から、ぎゅっと閉じていた翠玉の瞳をそっと開いて。
 金の髪の女王は、ほっとした笑みを浮かべた。
「いえ、間に合ってよかったです。でも陛下、勘弁して下さい。これがジュリアス様だったら、大変なことになってますよ」
 ランディがそう言うと、女王はすまなさそうに苦笑する。
「そ、そうね。こう言うのも何だけど、来てくれたのがランディでよかったわ」
「え……?」
 それは一体、どういう意味が込められているのだろうか。
 自分なら、首座の守護聖のように厳しく言わないから?
 それとも――。
「あの……ランディ?」
 問おうかどうしようか迷っている風の守護聖の耳に、少し不思議そうな声が聴こえた。
 ランディが「え?」と、我に返ると――未だに金の髪の少女を、両腕に抱えたままだったことに気づく。
「あっ、わ、すみません、陛下!」
 焦って頬を紅くし、けれども何より大切な存在だから、ゆっくりと丁寧に、彼女をおろした。
「ううん、本当にありがとう、ランディ」
 その金の髪のように、ふわりとした柔らかな微笑み。
 木々を透かして射し込んでくる光が、彼女の笑顔を更に煌めかせていた。
 ――心の風が、鼓動の森をざわめかせて、落ち着かない。
 最初は、あまりにも突拍子のない事態に対処するので精一杯だったから、それどころではなかった。
 だが、こうやって落ち着いてみると改めて意識してしまう。
 何より、こうしてふたりで会うのは久しぶりだった。
「と、ところで、陛下……一体どうして、木の上から?」
 不自然に思われないように、ランディはこの場を取り繕うとした。
「あ、うん。それが、実はね……」
 そう言って金の髪の少女は、ずっと大事そうに包んでいた手を開いてみせる。
 ランディが青い双眸を向けると、そこには黄色いひな鳥の小さな姿があった。
 小さくてつぶらな瞳と、元気な幼い鳴き声。
 生えたばかりの淡い羽を、懸命に動かしている。
「うわぁ、可愛いな」
 風の守護聖が素直に言うと、翠玉の瞳の少女は「でしょ?」と可憐に微笑む。
「さっき私がこの辺をさんぽしてたら、この子が木の上の巣から落ちてきたの」
「まさか……それで、巣に戻してあげようとしたんですか?」
 ランディが青い瞳を丸くした。
「ええ、そのつもり…だったんだけど」
 少女の頬が微かに紅くなる。
 両手の中のひな鳥と一緒に、つぶらな翠の瞳がランディを見上げた。
「陛下……気持ちは解りますけど。でも、無茶はしないで下さい」
 風の守護聖は溜め息を一つ零して、苦笑するような笑みを浮かべた。
「だ、だって、これでも私、木登りは得意な方だったのよ」
「……そうでしたね」
 困ったような顔をする少女を、ランディは大らかと思える微笑みで見つめる。
 ――知っている。
 女王候補の頃、確かに君は、木に登るのが上手だった。
「でも最近、ずっとやってなかったからなぁ……」
 しゅんとして、金の髪の少女はひな鳥の頭を軽く撫でてあげた。
「そのヒナ、貸して下さい、陛下」
 女王が「え?」と視線を向けると、ランディが穏やかな笑顔で、片手を差し出している。
「俺が、巣に戻してきますよ」
「ホント? ありがとう、ランディ!」
 微笑み返しながら、ランディは思う。
 天真爛漫な女王が生み出す笑顔は、女王候補の頃から、ちっとも変わっていなかった。



 九人居る守護聖の中でも一番、動きやすそうな服装を好むランディ。
 それは普段の正装も、今日のような休日の私服も、同様だ。
 抜群の運動神経も持ち合わせている風の守護聖は、慣れた動きで巣がある枝へと登っていく。
 金の髪の少女が木立の下から、やや心配そうな表情で見守っていた。
「ほらっ、お前の家に着いたよ」
 やがてランディは迷子のひな鳥を、その小さな家へと送り届けた。
 中には――二羽のひな鳥。
 おそらく、この迷子の兄弟だろう。
 母鳥はどうやら、エサを探しに行っているようだ。
「陛下、ちゃんと無事に戻しましたよ!」
 風の守護聖である少年が、下にいる女王に告げる。
「ありがとう、ランディ! ――よかったぁ……」
 金の髪の少女は、ほっと、安堵の吐息と微笑みを零した。
「じゃぁな、もう落ちるなよ」
 ランディが儚くも温かいひな鳥の頭を軽くつつき、優しく笑いかける。
 ひな鳥は応えるように、また礼を言うかのように、チチッと可愛らしく鳴いた。
 自然にあたたかな思いと笑顔があふれる。
「あ……!」
 ランディが木をおり始めた刻、女王が翠玉の瞳を見開いて、小さく声を上げた。
 風の守護聖が倣うように見上げてみると、母鳥が巣へ帰ってきていた。
「あぁ、きっとエサを見つけてきたんですね」
 ランディの言葉に、女王は「そうね」と言って微笑むが、段々と翳りの表情に変わっていく。
(……陛下?)
 彼女のそれが、淋しそうにも、悲しそうにも見えて、ランディは少し驚いた。
 しかし残念そうに、じーっと巣を見上げるその瞳は――。
 おそらく、母鳥が子供たちにエサをあげている微笑ましい光景を、その目で見ることができなくて残念に思っているのだろう。

 ――ちょっと前の『私』なら。
 ただの、普通の女の子の、アンジェリークなら、きっと見られたのに。

 くすっと、風の守護聖の少年の、小さく笑う声が聴こえた。
 翠玉の瞳を持つ女王が「え?」と、視線を巡らせる。
 枝に手足を置き、木をおりる途中だった彼は、やはり笑っていた。
 そして、綺麗に晴れた青空の双眸が、少女を映す。
「どうぞ、陛下」
「え……? ランディ?」
 差し出された手の意味を、彼女は瞬時に理解できなかった。
「登って、見たいんでしょう? 一緒に登りませんか?」
「えっ? いいの!?」
 翠の瞳が煌めいて、少女――アンジェリークの頬が紅潮する。
「俺が一緒ですから」
 それなら大丈夫だろうと、彼女を安堵させるように笑んだ。
 その提案は、守護聖としてはあるまじきことなのかもしれないが――。
「あっ、当然、ジュリアス様やロザリアには内緒ですよ!?」
 何かと厳しい首座の守護聖と女王補佐官を、ハッと思い出してランディが言った。
 ロザリアは、何だかんだ言って女王の我が儘を許してくれることもあるが、やはり厳しい時は厳しいし、自分にも何らかの注意があると思う。
「うん、もちろん!」
 金の髪の女王は、年相応の少女の笑顔で、大きく頷いた。



 まずランディが少し先に登り、アンジェリークに手を貸す。
 なるべくこまめに、それを繰り返していこうと、ランディは思っていた。
 が、彼の予想に反して、金の髪の少女は生き生きと、器用に登っていく。
 今日の彼女の服装は、瞳の色に合わせた翠と白のワンピースなのだが――。
 女王候補の頃から、スモルニィ女学院の制服のまま、木に登っていた。
 ランディは半ば唖然としてしまう。
 先程は、片手にひな鳥を抱えていたから――だけだったのだろうか。
 と、そう思ったのも束の間、アンジェリークの右足が、枝を踏み外す。
「きゃっ!?」
「陛下!!」
 やはり、常に手を繋いでいてよかった。
 ランディは素早く、握っていたアンジェリークの手を強く引き上げる。
 金の髪の少女は咄嗟に、引き寄せられた風の守護聖の胸元にしがみついた。
「ふぅ……大丈夫ですか? 陛下?」
 少年は、彼女の身体を腕の中に抱え込んで、ようやく安堵の息をつく。
「う、うん……ありがとう、ランディ」
 今日何度目だろう、と思う礼の言葉を、アンジェリークは少し恥ずかしそうに紡いだ。
 ふわりと柔らかな金の髪が、少年の頬を掠める。
 その瞬間、ランディは、未だしっかりと彼女の身体を抱きかかえている自分に、改めて気づいた。
「あ、ごめん! じゃないっ、すみません!!」
 いくら助けるためという大義名分があったにせよ、純情な風の守護聖の精神がそれを受け入れられるはずもなかった。
 赤面しながら慌てて腕の力を緩め、視線を泳がせる。
 本当はすぐに放し、離れようと思ったのだが、場所が場所なだけにそうもいかない。
「ううん、私の方こそ……! 助けてもらってばっかりね」
 元はと言えば自分の我が儘で、しかも落ちそうになった自分を助けてくれたのだから、アンジェリークは彼を咎める気など毛頭なかった。
 と、少し強い鳥の鳴き声がふたりの耳に響く。
 そちらを見やってみると、声の主はひな鳥たちの母親だった。
 うるさい、と怒っているように見える。
 暫しの沈黙のあと、青と翠の瞳を見合わせたふたりは、どちらからともなく笑い合った。
「えへへ、怒られちゃったね」
「そうですね」
 母鳥に咎められてしまったふたりは、素直に謝り、少し離れたところから巣を見守ることにした。


「……何だか、こんなに穏やかな気持ちになれたのって、久しぶり」
 飽きることなく鳥の親子たちを見つめていた少女が、ふとつぶやいた。
 そよ風と日溜まりが心地よい。
 優しい葉音を奏でる、若葉の日傘の下。
 緑の香りを乗せた風、柔らかな光の花びらが、どこまでも青い空から舞い降りてくる。
「え……?」
 ランディは、気持ちよさそうに伸びをした少女を見やった。
「本当に、今日はありがとう、ランディ。とても楽しかったし、おかげで、すっかり羽を伸ばせたわ」
 過去と自由を引き換えに受け継いだ、光り輝く『女王』の白き翼。
「ここのところ、ずっと我慢することばかり続いちゃったから」
 辛いことばかりじゃないけれど、楽しいことばかりでもない。
 ちゃんと『覚悟』したのに、とちょっぴり自嘲してしまう。
 目の前にいる優しい少年は、すでに、ずっと前に、その『覚悟』を決めた人なのに。
「陛下……」
 ランディの声が、森の空気に溶ける。
「あ、ごめんなさい。弱音よね、これって……」
 胸の奥からせつない思いがこみ上げる。
 女王候補の頃から、歳も近くて親しみやすい風の守護聖には、どうしても頼り気味になってしまう。
 今日も、木登りなんかして落ちかけた自分を、助けてくれた。
 もう一度登りたいと思った心を解って、願いを叶えてくれた。
 深い感謝と一緒に、申し訳ない気持ちと、そして――心の扉に鍵をかけたはずの、彼への想いがあふれてくる。
 金の髪の女王は明るい笑顔を取り繕うとしたのだが、あまりうまくいかなかった。
 ランディの青い瞳に飛び込んだ、その苦笑じみた切なげな微笑みは、一条の矢となって、彼の心までをも、まっすぐに貫いた。

 ――自分さえ我慢すればと思っていたのは、俺だけじゃなかった――?

 小鳥を巣立たせるように。
 吹き抜ける風に乗せて、あの空の果てへ解き放った、彼女への想い。
 天使が白い落とし物を降らせるように、ふたたび風の守護聖の胸に還ってくる。
「……もし、よければ」
 ふいにランディの声が零れた。
「また今度の休日に、ここへ来ませんか?」
「ここって、ここに?」
 金の髪の少女は小首を傾げて、現在地――鳥の親子の巣がある木立を指す。
 ランディは「そう」と、大きく頷いて。

「もちろん、木登りは俺が一緒の時だよ。――アンジェリーク」

 まるで、春風のような声と笑顔。
 そして――久しぶりに、呼んでくれた名前。
「……ランディ……!」
 一度大きく見開かれた翠玉の瞳が、ゆっくりと潤む。
「うんっ」
 頬を薔薇色に染めるアンジェリークの笑顔は、本当に可憐な花がほころんだようだった。
 ランディの鼓動がドキンと高鳴って――実感する。
 勇気を出して、よかった、と。


 青い空と、優しい緑の木漏れ陽の下で。
 ささやかだけれど、大事な約束を交わしたふたりは、
 幸せの風に包まれながら、静かに寄り添う――。




                end.




 《あとがき》
 時空界二周年記念の羽柴水帆・初恋創作、リモージュちゃんVer.です!(やっぱ長)
 アンジェでのというか、ネオロマでの水帆の初恋が、ランディだったのです!(≧▽≦)
 もちろん一番最初に迎えた恋愛EDは、今回のランディ&リモージュちゃんでしたvv
 育成を頑張っている中、ロザリアに風のサクリアの妨害をされ、ショックを受けつつ
 「負けるもんか」と、再びランディの元へ育成をお願いしに行くと(笑)
 その時から、延年さんボイスがついて(ウェルカムメッセージ五段階目ですね)、
 「負けるなよ! 俺でできることなら、何でもするから」(←爽やか笑顔&声)
 ランディ〜〜〜!!(T▽T) 何ていい人だと感動しました(笑)
 リュミエール様も大好きなんですけど(おい/笑) やっぱ初恋はランディですね。
 ……って、今回、本来はリモージュちゃんの女王候補時代で書きたかったんですが;
 それはまた次回ということで(^^;) 読んで下さってありがとうございました!

                                     written by 羽柴水帆


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