聖なる翼への誓い
             〜空と海を渡る風〜





 ――――何もかもが、初めて見るものばかりで。
 まるで、おとぎ話のような世界だったから。
 いくら冒険心があると言っても、内心で戸惑うことが多かった。



 聖獣の宇宙の片隅に存在する、惑星ジーレ。
 空と海の恵みに包まれたその星で育った少年が、風の守護聖として聖地に召された。
 天空を駆け巡る、流星の如き、ひとりの少女の導きのもと――。


「では、ユーイは陛下の御前へ」
 新たな守護聖を迎えるための、拝命の儀式。
 声も表情も明るい、女王補佐官の声があって、少年――ユーイは、一歩前へ進み出る。
 視界の端で、彼をここまで導いたエトワールの少女が、笑顔で見守ってくれているのが見えた。

「ユーイ、よく来てくれました」

 透き通った声と、澄んだ青緑の瞳。
 聖獣の宇宙を治める女王が、柔らかな微笑をたたえた。
 ――一瞬、言葉と共に、息を呑んだ。
 頭の中が真っ白になりそうだったが、女王に名前を呼ばれたことが、何とかそれをとどめたのだと思う。
「――はい。私は、風の守護聖としてこの身を捧げ、陛下にとこしえの忠誠を尽くすことを、誓います」
 この刻のために、何度も練習した言葉。
 間違えずに言えたことに、とりあえず安堵する。
「ありがとう。新たなる風の守護聖の名を、ここに与えます」
 そのあとのことは、あまりよく憶えていない。
 光が弾けて、自分の中に『何か』が満ちあふれて。
 自分は――守護聖になったんだと思う。
「ようこそ、聖獣の聖地へ! これから、どうぞよろしくね」
 そう言って栗色の髪の女王が浮かべた、優しい微笑み。
 それが、就任したばかりの風の守護聖の心に、強い印象を残した。





 ――ここへ来て、何度目の太陽だろう。
 気持ちよく晴れた青空を見上げて、ユーイは夕陽色の瞳をまぶしそうに細める。
 基本的に、執務は休みである土の曜日。
 女王補佐官のレイチェルが開く『お茶会』の招待状をもらったので、宮殿までやって来た。
 以前にも、こことは別の『神鳥の宇宙』で、やはり女王補佐官であるロザリアのお茶会に招かれたことがあった。
(きっとあれも、補佐官の仕事なんだろうなぁ)
 初めてのことばかりで、しかも素直で純粋なユーイは、そんな風に思っていたりする。

 大分慣れてきたとはいえ、宮殿までの道(彼はあまり馬車を使わない)を、迷っても困るので、かなりの余裕を持って館を出てきたユーイ。
 しかしまだ昼前で――時間が余ってしまった。
「うーん、早すぎたか」
 どうするかな、と考え込んだかと思うと、すぐに何かを思いついたようだ。
 お茶会の場所――『白の中庭』とは別の方向へと、足を向けた。



 足元の道を一歩踏み外せば、空へ落ちてしまう。
 そんな錯覚をさせる、広い水面が広がる場所――『青の中庭』。
 足を浸せるほどの浅い水たまりが、いつも空を映している。
 ここは、ユーイにとっても、宮殿の中で結構気に入っている場所だった。
 まるでプールサイドのような白道に腰を下ろして、ユーイは靴を脱いだ両足を、空色の水面へ投げ出した。
 ぱしゃっと弾ける飛沫。
 裸足から伝わる水の感触が、冷たくて心地よい。
 水の中の空と雲と太陽が、星をまき散らすように輝きながら、波打つ。
「やっぱりここって、いいよなぁー」
 銀の前髪と深緑の髪を撫でる、爽やかな風。
 瞳を閉じて、空の息吹に耳を澄ます。
 生まれてからついこの前まで、辺境の自然の中で暮らしてきたユーイは、時折その自然が――特に水辺が恋しくなることが多かった。
(……いつか、エンジュにも教えてやろうかな)
 自分の使命で忙しいのに、この聖地へ来てからも気にかけてくれる、伝説のエトワール――エンジュ。
 宇宙の育成や新たな守護聖候補の説得など、忙しく星空を駆け巡っている彼女に、この綺麗な場所を教えてあげようかと、そう思った刻だった。

「――あら? そこに居るのは、ユーイ?」

 ふと、聴き憶えのある優しい声で、名を呼ばれた。
 ユーイは鼓動が大きく鳴り響き、全身に緊張が走るのを感じる。
「へ……陛下……!?」
 振り返ったユーイは、立ち上がりながら、また少し驚いた。
 今日の彼女の格好が、今まで目にしてきた神々しいドレス姿ではなかったからだ。
 淡いピンクと白の、ワンピースのようなドレス――いわゆる私服というやつだ。
 夕陽色の双眸をぱちぱちと瞬きさせていると、栗色の髪の女王はくすっと笑った。
「どうしたの?」
「あ、すみません! えっと……陛下、いつもと違う格好だなぁと思って」
「ええ、そうなの。今日と明日は、お休みだから」
 柔らかな表情のまま、「変な感じがするかしら?」と訊ねる。
「いえ、そんなことないです! すごく似合ってる!」
 ユーイは首を大きく横に振り、太陽のような明るい笑顔で答えた。
 自然の中でのびのびと育ってきた彼は、こんな台詞も、それこそ自然に言えるのだ。
「それに、そうゆう格好でいてもらった方が、俺も何となく落ち着けるし」
 と、そこまで言って、「しまった」という顔をするユーイ。
「って、すみません…! あ、いつもの陛下の格好も、嫌なわけじゃなくて。すごく綺麗だと思うし……」
 言いながら、「こんな風に言って、失礼じゃないかな?」と、難しく考え込む。
 笑顔を絶やさずに「ありがとう」と言った女王は、彼をとても真っ直ぐな子だと思った。
 お世辞にしても本心にしても、彼ぐらいの年頃の少年が、照れもしないでそんなことが言えるのだから。
「ところで、どうしてここへ? 確か、今日のレイチェルのお茶会、あなたも来るんでしょ?」
 青緑の瞳を持つ女王は、ユーイの傍らまで歩み寄りながら訊ねた。
「はい! でも、来るのが早すぎたんです。だから、ここで時間を潰そうと思って」
 女王が「そうだったの」と納得すると、「陛下は?」と訊き返すユーイ。
「私も、お茶会まで時間が空いたから、お散歩していたのよ」
 そう答えると、栗色の髪の女王は何かを思いついたような表情をした。
「ねぇ、ユーイ。ちょっと、お話してもいいかしら?」
「え? あ、はい! いいですよ」
 予想もしていなかった女王からの言葉に、ユーイは一瞬驚いたが、すぐにこくんと大きく頷いた。
「ありがとう。嬉しいわ。あなたとは、まだ会ったばかりだから、一度ゆっくりお話したいと思ってたの」
 優しげな顔立ちの女王――アンジェリーク・コレットは、ふわりと、可憐な花がほころんだように微笑む。
 それを夕陽色の瞳に映したユーイの鼓動が、また大きく鳴り、
(やっぱり、陛下って……)
 あたたかな淡い風が、心の中に舞い降りたのを感じた。



 青の中庭の中央を横切る白道に、ユーイが再び、そして彼のとなりにコレットが腰を下ろす。
 銀の前髪と深緑の髪を持つ少年が、もう一度両足を水面に投げ出すと、
「あ、気持ちよさそう」
 と、コレットも底の薄い白い靴を脱いで、細い素足を水たまりの空に浸した。
 ユーイが少し驚いてその様子を見ていると、まるで自分と歳の変わらない少女のような微笑みが返ってくる。
 自然と、ユーイからも明るい笑顔が零れた。
「――で、どうかしら? 聖地に来てから」
 ユーイが聖獣の宇宙の、風の守護聖に就任してから、およそ一ヶ月が過ぎていた。
「うーん……とにかく新しいことが多いから、失敗したり、大変なこともあるけど、何とかやってます! エンジュやレイチェルが色々教えてくれたりするし。あ、ティムカやメルとも、仲良くなれたかな」
 聖獣の宇宙に集った新守護聖の中でも、ティムカとメルは、ユーイと歳も近い。
 それを聴いて、コレットも「そう、よかった」と嬉しそうに頷いた。
「あの、陛下……」
「なに?」
 今までとは明らかに違う、思い悩むような表情で、何かを言いかけたユーイは、俯いてしまう。
 小首を傾げたコレットの長い栗色の髪の先が、さらりと揺れる。
 彼を急かすようなことはしなかった。
「その……すみませんでした。俺、守護聖になることを、すぐに決意しなくて」
 ユーイは膝の上に両肘をついて、手のひらをぎゅっと握り合わせる。
 同時に、彼の足元から大きな波紋が広がった。
 コレットが、実は神鳥の宇宙の出身で、新たなる聖獣の――ユーイが生まれたこの宇宙を誕生させたこと。
 発展することによって安定を失った宇宙を、命懸けの想いで支えていたこと。
 慈愛の心を翼にして、守っていたこと。
 その真実を、ユーイは聖地へ来てから、エトワールや補佐官、歳の近い守護聖から初めて聴いた。
「俺、何も知らなくて……陛下が、俺たちの宇宙のために、どんなに力を尽くしてくれていたかも知らないで――!」
 銀の前髪に隠された瞳を、ユーイは強く瞑った。
 一人でも多くの守護聖が早く拝命されなくては、女王の命も危うかったのに。
 自分のこと、自分の周りのことしか考えてなかった。

「――ユーイ」

 渦巻く後悔の波に呑まれていた風の守護聖の名を、聖獣の女王が呼んだ。
 少年は戒めが解けたように、ゆっくりと顔を上げる。
「謝らなくていいのよ、ユーイ」
 その響きは、どこまでも優しく、ユーイの心の海原を凪がせてゆく。
「守護聖になる、ということは、人ひとりの運命を大きく変えてしまうこと。あなたや、あなたの家族の人生を大きく変えてしまうことだもの。時間をかけて、悩んだり考えたりするのは、当然だわ」
「でも、だって、それは陛下だって。しかも、自分が生まれ育ったんじゃない宇宙のために……!」
 コレットもまた、家族や故郷の星だけでなく、宇宙と永遠の別れをしたのだ。
「そう、私も一緒。だから、あなたの――あなたたちの気持ちも、解るつもりよ」
 かつて『新宇宙誕生』のための女王試験を受け、その女王に選ばれた日。
 その刻に抱いた思いは、今も彼女の中に在った。
「あなたがそんな風にまで思ってくれたことは、とても嬉しいわ、ユーイ。でもね、私に謝ることも、自分を責めることもないのよ。結果として、あなたはここへ来てくれたんだから。それだけで、充分」
「陛下……」
 聖獣の女王は、慈愛に満ちた微笑みで、新たな風の守護聖の心を和らげた。
 しかし突如として、彼女のその表情に、憂いが帯び始める。
「逆に、私の方から謝りたいわ。あなたをおじいさんから引き離してしまって……」
 ――ユーイは幼い頃に両親を亡くし、祖父と二人暮らしだった。
 心に芯の強さを秘めた女王といえど、本来は優しいひとりの少女でもある。
 儚さを漂わせた顔立ちを、哀しげに翳らせていくコレット。
 素足の下に広がる空の冷たさが、ひどく胸に染みた。
「わ、わ!? 陛下!?」
 風の守護聖となった少年は、大いに驚く。
 慌てて立ち上がると、足元から空色の雫が飛び散った。
 胸中で、「何で陛下が謝るんだ!?」と叫びつつ、彼なりに女王を慰めようとする。
「それこそ謝らないで下さい! 陛下が悪いわけじゃないんだから」
 ユーイの必死な言葉に、コレットは「ごめんね……」と言いながら、苦笑するように笑い、顔を上げた。
 とりあえずホッと安堵すると、ユーイは笑顔を浮かべる。
「じいちゃんのことなら、俺は大丈夫! 俺が守護聖になったから、じいちゃんも、俺の星の人たちも、生きていけるんだって。そう思えるようになったから」
 その笑みはただ明るいだけでなく、力強く落ち着いたものだった。
「それに、じいちゃんが『物事、なるようにしかならない』って、でも『諦めなければ、努力は必ず実を結ぶ』言ってたから、あんまり深刻にならないようにしてます。もちろん、失敗したら反省はするけど。毎日を楽しく生きられるように、自分のできる範囲で、今はやってます」
 決して背伸びしすぎず、自分の心をコントロールする。
 実はなかなか困難なことを、この少年はやってのけていた。
「……そう、安心したわ。いいおじいさんなのね」
 ユーイが年齢の割りにしっかりしていて、真っ直ぐな心の持ち主として育った理由が解ったように思えた。
「はい! それに、エンジュも言ってくれたんです。俺は俺のまま、聖地に行けばいいって」
「その通りよ。いつまでも、ユーイらしくね。改めて、これからもよろしく」
「はい、陛下! 俺の方こそ、よろしくお願いします!」
 光と風の舞う、空と水の間で。
 コレットは淡く優しい笑み、ユーイは明るく元気な笑顔を、それぞれ交わした。



 気がつくといつの間にか、お茶会の時間が近づいてきた。
「そろそろ、行きましょうか」
 コレットがそう言いながら、立ち上がる。
 ユーイは「はい!」と返事をするが、
「あ、陛下!」
 とある思いが心に生まれて、呼び止めた。
 コレットは「なぁに?」と、振り返る。
「俺、この宇宙の女王が、陛下でよかったって思います」
 それは今、改めて感じたユーイの本心。
 コレットの碧い双眸が、見開かれる。

「俺が守護聖としてお仕えする人が、陛下でよかった」

 瞳と声に込めた思いを、ユーイはまっすぐに伝えた。
「ユーイ……」
 一度は潮が引いた、コレットの瞳の海。
 しかし、心にあふれるのと同じ、せつないほど優しい波が押し寄せてくる。
 彼女が泣きそうに見えたユーイは、「…陛下?」と、心配そうに呼びかけてみる。
「――ありがとう、ユーイ」
 確かにコレットの青緑の瞳から、綺麗な雫が零れていた。
 けれども、その表情は幸福に満ちたものだった。


(やっぱり陛下の瞳って、海みたいだ)
 コレットに初めて出逢った刻から、感じたことがふたつ、あった。
 ひとつはそれ――彼女の瞳の色が、故郷の海とよく似ていたこと。
 そして――。

『きっと私より、陛下にお逢いしたら、ユーイさん、余計にそう思うんじゃないかな』

 守護聖拝命を受けるキッカケをくれたエトワールから、そんな返事が返ってきた。
 生前の母親と同じように、手袋を贈ってくれた彼女が、「つい、母さんみたいに見えた」と言ってしまったのだ。

『だって陛下は、この宇宙のお母様同然なんですから!』

 見かけでは『お姉さん』なのだが、その心の大らかさは、まるで――。
(宇宙の……母さん……か)
 確かに――と、思う。
 聖獣の宇宙創世の女王が、海の如く深い優しさを持つ慈母のようだと。


 青い空と海の恵みに包まれて育った少年は、
 その狭間を渡りゆく風のように、清々しい心で。
 聖獣の宇宙の守護聖のひとりとして。
 聖なる翼を持つ女王に仕えることを、改めて誓った。




                  end.




 《あとがき》
 初・エトワール創作にして、ユーイくん&コレットちゃん第一作目です!
 ……って、エトワール初創作がユーコレかい、と自分でもツッコミました(苦笑)
 ユーイくん&エンジュちゃんも、勿論好きなんですよ。ただ、ユーイくんに
「母さんみたいに見えた」と言われた時……可愛いやら可笑しいやら(笑)
 エンジュちゃんでそう見えたんなら、コレットちゃんは聖獣の宇宙のお母さん同然なんだから、
 やっぱり余計にそう見えるんじゃないかと思ったんです。
 って、実はそれより前に、超キレイになった女王コレットちゃんに一目逢えた時点で、
 年相応の反応をするんじゃないかな、とも思ったんですが(^^;)
 あと、エトワールで守護聖候補の説得をやってて思ったのが、「今コレットちゃんは
 大変なんだっての!!」(笑) だってホントに命かかってましたからね。
 なので、これをキッカケに一人一人に謝らせてやろうかと……(笑)
 ま、今回書いた一番の理由は、あんまりにコレットちゃんがキレイになってたからと、
 水帆の中で、ユーイくんが超ヒットだったからです♪ 顔も名前も性格も声も設定も
 全部好みですvv(実は幼少の頃から、密かに浪川さんファン/笑)
 アンジェ(ネオロマ)キャラってみんな好きだから、今までは「一番はこの人!」って
 決められなかったんですけど、何か今、彼が一番かもしれません(『今』ね/笑)
 えー、とにかく、読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

                                      written by 羽柴水帆