――――いつも、君に会う度に感じるものがある。
             懐かしい既視感のようなものが、訪れる。
            けれど、それが何なのか、判らなくて――――。





                  空の翼、海の鏡





 陽射しが暖かく降りそそぐ、穏やかな日の曜日。
 小鳥の声を運ぶ風が、晴天に恵まれたアルカディアの空へ吹き抜ける。
「ふぅ……」
 感性の館の執務室で、その分野の教官を務める芸術家の青年は、溜息をつく。
 そんな彼とは裏腹に、本当によく晴れた青い空。
 本来なら、こんな日こそ外へ出て、フレーズを一つ二つと生み出していきたいのに。
(――原因は判っているんだ)
 机に頬杖をついたセイランは、そう思った。
 彼が創作活動のこと以外で悩むことなど、決まっている。
 それは――。
 と、その刻、コンコンと軽いノックの音が聴こえた。
 セイランは暫し憮然とすると、「…どうぞ」と返事を返す。
「失礼します。おはようございます、セイラン様」
 執務室の扉を開いたのは、思った通り、栗色の髪を持つ新宇宙の女王だった。
(来たね……原因)
 可憐な笑顔の彼女を見ながら、セイランは胸中で呟く。
 彼が、スッキリしない思いを抱えている原因――それが、この少女、アンジェリークなのだ。
 何も言わず、じっと見つめてくる彼を不思議に思って、アンジェリークは「セイラン様…?」と、大きな碧の瞳を瞬かせる。
「……何でもないよ。今日はどうしたんだい? アンジェリーク」
 自分に苦笑したセイランは、心の靄を振り払って訊ねた。
 暫くセイランを見つめたアンジェリークは、やがてまたにっこりと微笑む。
「セイラン様、よろしかったら、一緒に日向の丘へ行きませんか?」



 ――色鮮やかな緑の景色。
 日向の丘の噴水は、今日も常に水の息吹を繰り返している。
 噴水を通り抜けると、海が見渡せる草原が広がっていた。
 海から吹いてくる風に靡く藍色の髪を、セイランは軽くかき上げる。
「アンジェリーク、どこまで行くつもりだい?」
 草原へ出ても、まだ足を止めないアンジェリークに問いかけた。
 すると彼女は栗色の髪を揺らしながら、楽しそうに振り返る。
「もう少しあっちです。セイラン様に、ぜひ見て頂きたいものがあって……」
 そう答えて、足取り軽やかに歩き出すアンジェリーク。
(やれやれ……このお姫様は、今度はまた何をしてくれるんだか)
 くすっと笑って、セイランは彼女の後に続く。
 いつもおっとりとして、おとなしい彼女だけれど、時折驚くほどの『いい刺激』をくれることがある。
 それも、彼女の天使のような優しさが、無意識に働いてるのだろう。



「ここです、セイラン様」
 日向の丘の草原から、少し下りた場所。
 言われるがままついてきたセイランは、藍色の瞳に飛び込んできた景色に言葉を失う。

 空と海が、遙か青く溶け合った、ホライズン・ブルー。

 ただひたすら青い世界に、吸い込まれるような気がした。
「日向の丘からだと、街も見えたりしますよね。その景色も好きなんですけど、ここからだと、空と海だけの水平線が見られるんです。この前、ひとりで散歩してる刻に見つけて……」
 水平線の彼方へ視線を向けながら、話すアンジェリーク。
「セイラン様も、こういう場所、お好きかなぁと思って」
 少し遠慮がちになった声に、セイランは「え?」と、反射的に彼女を見やる。
 するとアンジェリークは、頬を淡く染めて俯いていた。
「アンジェリーク……」
 天使を意味する彼女の名を呟いたセイランの声が、風に乗って空へ舞い上がる。

(――ああ、そうか……)
 その刻、セイランはようやく気づいた。
 彼女が何に似ているのか、思い出した。

「……それは嬉しいね。ありがとう、アンジェリーク」
 やがて紡がれた言葉に、アンジェリークは碧い瞳を輝かせる。
「セイラン様…! 喜んで頂けました?」
「ああ。ここを教えてくれたことも、ここを見つけて、僕を思い出してくれたこともね」
 セイランが独特な笑顔を向ける。
 ――いつもは少し気の強うそうな表情をする、均整のとれた綺麗な顔立ちで、あまりに優しく微笑むから。
「え? あ、はい……」
 アンジェリークは再び朱に染まった顔を俯かせた。
 可愛らしいその仕草に、セイランはくすっと軽い笑みを零す。
「おかげで、いい詩が出来そうだよ」
 そう言うと、アンジェリークは「よかった…!」と、また嬉しそうに微笑んだ。



 空の彼方へ雲を運び、潮の香りを地上へ届ける、風。
 気持ちのいい自然の息吹を受け止めるように、碧海の瞳の少女は、空へ向かって背伸びをした。
 新宇宙の女王であり、ひとりの優しい少女である、アンジェリーク・コレット。
(こんな簡単なことだったのに、どうしてすぐに気づかなかったのかな)
 草原に腰をおろして彼女を眺めながら、セイランは思った。
 あまりに簡単すぎたから、かもしれない。
 ――アンジェリークが似ているのは、この空と、海。
 彼女がこのアルカディアを育成しているのだから、当たり前なのかもしれない。

 ――でも、それは君が女王だからじゃない。
 君だから女王に選ばれて、大地に、世界に、宇宙に愛をあふれさせている。

(女王……か…)
 ふいに、胸の中を吹き抜けた冷たい風。
「――アンジェリーク」
 セイランに名を呼ばれたアンジェリークは、「はい、何ですか? セイラン様?」と、彼のそばへ歩み寄ってかがむ。
 すると、セイランはアンジェリークの手を掴み、少し強引に引き寄せた。
「え…っ?」
 一瞬、何が起こったのか解らず、碧の双眸を見開くアンジェリーク。
 気がつくと、セイランの腕の中に閉じ込められていた。
「せ、セイラン様……!?」
 アンジェリークは、「どうしたんですか…?」と訊ねたかった。
 けれど、更にぎゅっと強く抱きしめられて、声が続かない。
 鼓動がドキドキと音を鳴らし始める。
「アンジェリーク、ずっと……」

 ――このまま、僕のそばに居てくれたら――。

 セイランは、その言葉を何とか呑み込んだ。
 それがどれほど我が儘で、身勝手な願いか――解っているから。
「……ずっと、その素直な心を失くさないようにね」
 実際に紡いだのは、そんな言葉だった。
 腕の力を緩めて、せつなげに微笑む。
「…は、はい……セイラン様」
 薔薇色に頬を染めたアンジェリークは、こくんと小さく頷いた。

 ――それが、どれほど我が儘で、身勝手な願いか解っている。
 だから、今この刻だけは、こうしてそばに居てほしい。
 今だけは、僕だけのそばに――。

「あ、あの……セイラン様…?」
 未だ腕を解かないセイランを、アンジェリークは困惑したように見上げる。
 決して嫌なわけではないのだが、何より理由が判らないし、気恥ずかしい。
「あぁ、ごめん。でも、もう少しこうしててもらうよ。何だかいいフレーズが浮かんできそうだから」
「え? あ、えっと、そう…ですか……」
 あっさり返されたセイランの言葉に、『素直』なアンジェリークは、戸惑いながらも納得してしまう。
(そうそう。その素直さを失くさずにね)
 先程の自分の言葉通り、と言っても彼女にしてみれば無意識なのだろうが、素直に信じ込んでくれたことが、妙に嬉しかった。
 くすっと笑って、抱きしめる。
 空を流れる風の声と、海を奏でる波の音を聴きながら。



 ――――いつも、君に会う度に感じるものがある。
 懐かしい既視感が、訪れる。
 それは――君を見て、懐かしく思うのは、あの空と海に似ているから。
 大地で生きる僕らを包み、守ってくれているもの。

 君の心は、星を包む空の翼。
 君の瞳は、すべてを映す海の鏡。
 気高く、優しく、美しく、果てしなく――――。




                end.




 《あとがき》
 セイラン創作第二作目……トロワのお話です、が。わけ解らないですね(汗)
 しかも何かせつないし(××) 当初はこんなはずでは……;
 でもおかげで、もう一つ書きたいお話が浮かびました(笑)
 恋愛創作においては、転んでもタダじゃ起きないみたいです、私(^^;)
 それにしても、セイランって難しいですね(今更) 彼を表現するには、何だか常に
 詩的に書かなきゃいけないような気がするし(書けてないって/汗)
 しかもあの人、『家族構成/なし』なんですよね; アンジェキャラ至上謎の人(苦笑)
 まぁそれはともかく、アンジェリークも『エトワール』へと新しい舞台へ移り、
 主人公もエンジュちゃんになって、コレットちゃんが恋しい今日この頃(笑)
 水帆は、もうしばらくコレットちゃんをヒロインに続けていきたいと思います。

             written by 羽柴水帆