――――名前にはきちんと『意味』がある。
 大切な『想い』が込められている。
 人であれ、物であれ、動植物であれ、すべてのものに名前とそれは存在する。
「お前の名前には――という意味があるんだよ」
 そう教えられたのはいつのことだっただろう――。



 ――小鳥の囀りが聴こえてくる。
 部屋を統一しているのと同じ黄色いカーテンの隙間から差し込む朝の陽射しで、アンジェリークは目を覚ました。
「今日は水の曜日か…」
 カーテンを開けて朝の光を部屋に入れながら呟き、
「はぁ…何だか疲れてるなぁ…。昨日までちょっと頑張りすぎたかしら?」
 眩しい陽射しに目を細めながら、アンジェリークは小さなあくびをした。
 ついこの前の土の曜日の定期審査では、アンジェリークがレイチェルよりも二つ、惑星の数が勝っていた。
 そのため気合いを入れたレイチェルを横で見て、アンジェリークも頑張らなきゃと思い、月、火の曜日は育成と学習に励んだのである。
 二つも勝っているのだから焦ることはないと思うのだが、本気になったレイチェルのすごさをアンジェリークは大体理解していたのだ。
「今日はどうしようかな…」
 きちんと身支度を終えて、けれど何かすっきりしない気分でアンジェリークはテーブルの椅子に腰掛けた。
 すると――キンコン、とドアのチャイムが鳴る。
「あら、誰かしら…?」
 そう呟きながらドアを開けると、そこには藍色の髪と瞳を持つ感性の教官――セイランが立っていた。
「セイラン様、おはようございます」
 ふわっとした微笑みでアンジェリークが挨拶をすると、
「ああ、おはよう、アンジェリーク。良かったら君と僕、二人の時間の接点を探してみるつもりはないかい?」
 淡々とそんな言葉を返した。
 案の定、アンジェリークは不思議そうな顔をする。
「…つまり、今日一緒に過ごさないかってことさ」
 セイランが言い直すと、アンジェリークは納得したように頷く。
「はい、セイラン様。よろこんで」
 丁度今日は何だか疲れていて、育成や学習に行くような気分ではなかったし――それにハッキリとものを言うのが苦手な自分は、セイランに嫌われているのではないかと思っていたので、アンジェリークは心底嬉しくなり、にっこりと微笑んで答えた。
 するとセイランはアンジェリークの顔をじっと見つめる。
「あ……あの、セイラン様?」
 それに気づいたアンジェリークがセイランの名を呼ぶと、
「…いや、こんなことで喜ぶなんて、君って以外と可愛いんだね」
 セイランは普段中々見せない穏やかな笑顔をして言った。
「え…?」
 アンジェリークはセイランのその言葉と笑顔に小さな鼓動の高鳴りを感じ、頬を薄らと桜色に染めた。
「じゃぁ、今日はどうしようか。どこへ行きたい?」
「えっ……えっと…!」
 もう普段の表情に戻っているセイランにアンジェリークは慌てて答える。
「庭園へ行きませんか? 今日とてもいいお天気だし…」
「そうだね」
 セイランの簡単な答えがあって、二人は庭園へと出かけた。




 ――庭園に近づくにつれて人の賑やかな声が聴こえてくる。
 それは、そこが聖地で最も賑やかな場所だからだろう。
 セイランとアンジェリークが庭園の入り口に辿り着くと、中央の噴水が見えた。
 アンジェリークは普段通りにしているつもりなのだが、やはりいつもより疲れているように見えたのかセイランは無意識に女王試験についての質問は避け、お互いのことを理解できるようにと話をすることにした。

「アンジェリーク、『セイラン』っていう言葉の意味を知っているかい?」
「え?」
 ――セイランは東屋まで来ると唐突にアンジェリークに問いかけた。
「知ってたらぜひ教えてほしいね。僕自身、この言葉の意味を知らないんだ。どうしてこう名乗ってるのかも判らない」
「……どういう、ことですか?」
 セイランの淡々とした言葉に、不思議そうに訊き返すアンジェリーク。
「気がついたらこう名乗ってたんだよ」
「そうだったんですか…」
 アンジェリークはそう答えたあと、暫し何かを考え込む仕草をする。
「すみません、私…知らないです。とても綺麗なお名前だと思いますけど…」
「ああ、気にしないでいいよ。ちょっと思い出して言ってみただけだからさ。それに、名前なんて人を区別して呼ぶための記号にすぎないから、意味なんて必要ないしね」
「え…――?」

 セイランのあっさりとした答えに、アンジェリークの表情が凍りついたように止まる。

 それに気づかず「それじゃぁ、行こうか」とセイランは次の場所へと歩みだそうとした。
 けれど――。
「そ、そんなことありません!」
 アンジェリークがセイランを引き止めるように、彼の右腕を掴んだ。
「え?」
 セイランが驚いて振り向くと、アンジェリークは海の如く碧い双眸に、とても真剣で悲しそうな色を映していた。
「名前は、その存在を認め、表すとても大切なものです…! 私とレイチェルがアルフォンシア達に……聖獣に初めて逢った時、ロザリア様がおっしゃっていました。だから、私達はあの子達に名前をつけたんです。セイラン様のお名前だって、例え言葉の意味は判らなくても、絶対に『想い』が込められているはずです…! それが名前の『意味』なんです…! だから……!」
 セイランの腕の裾を更にきゅっと強く掴んで。
「だから……そんな悲しいこと…言わないで下さい……!」
 アンジェリークは今にも泣き出しそうな声で、顔を俯かせた。
「……わかった。わかったよ、アンジェリーク」
 それまで呆然とアンジェリークの言葉を聴いていただけだったセイランはふっと微笑して、彼女の栗色の髪をした頭にぽん、と軽く手を置いた。

 ――正直、意外だった。
 自分としては何気なく思っていたことを何気なく言ったつもりなのに。
 だがおかげで、おとなしく控えめで滅多に自分の意志を主張しない彼女の新たな一面を見出すことが出来た。
 そう思うとセイランの心に喜びに似たものが満ちる。
 しかも自分ために送られた言葉なのだから尚更だった――。

「…セイラン様…」
 優しく置かれた暖かい手にアンジェリークは顔を上げると、彼の右腕を掴んでいる自分の両手にハッと気がつく。
「あっ…す、すみません、セイラン様…!」
「どうして謝るんだい?」
 セイランは慌てて自分の腕を放したアンジェリークに問う。
「そ、その……セイラン様に口答えするようなこと、言ってしまって…! その上、セイラン様の腕、掴んじゃって…! 本当にすみません…!」
 段々と消えていくアンジェリークの声に、セイランは再び微笑した。
「何でそんなこと気にするの? 君のちゃんとした意見と行動じゃないか。僕は君がおとなしいだけじゃないって判って嬉しいんだけど?」
「せ…セイラン様…」
 アンジェリークはセイランの言葉にほっと安堵したようで、ぎゅっと握っていた手をほどいた。



「まぁ、綺麗なお花…!」
 庭園の花畑に来て、アンジェリークは感激したように色とりどりの花々に近づいた。
「………」
 セイランはそんな彼女を黙って見つめる。

 ――――『アンジェリーク』、か………――――

 花と風と光に戯れる目の前の少女の名前を、確かめるようにセイランは心の中で呟いた。
「セイラン様?」
 彼のその視線に気がついたアンジェリークはふっと振り返る。
「どうなさったんですか? あ、お花があまりに綺麗だから見とれてたんですね」
 何の汚れも翳りも無い微笑みを向けるアンジェリーク。
 セイランはそれに苦笑混じりで答える。
「……ああ、見とれてたんだよ。でもそれは花じゃない」
「え?」
「ねぇ、アンジェリーク。君は『名前はその存在を認め、表すもの』だって言ったよね。確かにそうだと思うよ」
 不思議そうに小首を傾げるアンジェリークの栗色の髪に、セイランはそっと触れる。
「本当に君は『天使』のような女の子なんだね。花は、可哀想だけどそんな君の引き立て役にしか僕の目には映らなかったよ」
「そっ…そんな、セイラン様…!?」
 藍色の視線と共に真っ直ぐ心に飛び込んできたセイランの言葉が、アンジェリークの頬を恥ずかしそうな薔薇色に染める。
 それすらもセイランの双眸には彼女の魅力の一つにしか映らなかった。

 ――もう少し、見守ることにしよう。
『天使』を意味する美しい名前を持つ君を――。

 女王試験に感性の教官として呼ばれた芸術家の青年は、栗色の髪の女王候補を見つめながら。
 この刻、心にそう深く刻んだ――。




                      end.




   《あとがき》
   セイラン創作第一作目です。コレットちゃんとの『始まり』って感じですね。
   でもその分言葉が激しくて(?)難しかったです〜、っていうか教官のくせに何てこと言うんだこの人;
   このお話は私がプレイ中(とーぜん温和ちゃんで)に思ったことを書きました。
   セイランって本当に記憶喪失なんですかねぇ? それはともかく、名前について「記号にすぎない」って言われた時に
   「そんなことない!」って思っちゃったんです。
   国語辞典ですら『名前』の意味に『記号』なんて書いてないし(笑)、私は本当に『名前』には『想い』が込められていると思うんです。
   つけてくれた人がいるなら勿論、自分でつけたにしてもそうでしょう。
   私は自分の本名も好きだし、『羽柴水帆』という名前もとても好きです。
   そして自分で創ったキャラクター達の名前もみーんな大好きですv
   パッと思いつく人もいれば試行錯誤する人もいるけど、みんな『想い』を込めてつけてます。これからも、そうしていきますv
   ――って、本当に『セイラン』ってどういう意味なんでしょうね?

                                                      written by 羽柴水帆



                            

美しき君の名