――少女の碧い海色の双眸から悲しみの波があふれ出す。
「アリオス…!」
 少女――アンジェリークが呼ぶ青年は、しかしその名を否定するかのように答えない。
 確かにその名の青年とは髪も瞳の色も違う。
 今アンジェリークの前に居るのは、紫を帯びた銀色の髪に緑の双眸を持つ『アリオス』ではなく、漆黒の髪に金と緑の瞳を持つ皇帝『レヴィアス』なのだ。
 アンジェリークに切なる願いと想いを寄せられたレヴィアス――だが、彼の選んだ道は己が信念を貫き通すための行動――『無』への帰還だった。
 長身の身体全体をマントで覆い隠し、黒い煙を立ち上らせる…!
「アリオス…ッ! 嫌…っ、やめて! お願いっ、アリオス!!」
 自身の消滅を選んだレヴィアス――アリオスに向かって、アンジェリークは泣き叫ぶ。

「ずっとそばに居るって言ってくれたじゃない!! アリオス――ッ!!」

 蒼き海に囲まれた孤島での想い出が、アンジェリークの脳裏を掠め、その叫びと涙は更に悲痛なものになる。
 すると、彼も同じことを想い出したのだろうか。

 ――『彼』と唯一同色の緑の瞳に、アンジェリークを捕らえた。

「……っ!?」
『彼』――アリオスと同じ色の悲しい瞳が、アンジェリークの碧い瞳に熱く焼き付く。
 しかし、それはほんの一瞬のことだった。
 次の瞬間には、レヴィアスもアリオスも無く……。

 ――ただ、黒い灰燼が舞い散っていた――。




「――…アリオスッ!!」
 暖かい陽射しが長く差し込んでくる部屋。
 アンジェリークは目を覚まし、いつの間にか泣きはらしていた目を手で覆った。
「……あんな夢を見るなんて……どうしたのかな」
 涙を拭い、軽く目を擦ると、アンジェリークは起き上がって部屋のカーテンを開ける。
「…こんな顔してちゃ駄目よね。やらなきゃいけない事、たくさんあるし。レイチェルにも心配かけちゃうわ」
 白い雲が浮かぶ青空を見上げて、アンジェリークは大きく伸びをした。


「アンジェリーク、どうしたの!?」
「え…?」
 アルカディアでの一日の始まり。
 予定を決めるために毎朝来てくれる女王補佐官兼、親友を部屋に迎え入れるなり、
アンジェリークは彼女――レイチェルに両肩を掴まれた。
「な、なあに? レイチェル。私、どうもしてないわよ?」
「してるよ!」
「ど、どこが?」
「アナタの顔、目よ! 何かあったの?」
「え……」

 どうして判ってしまったんだろう…?

 アンジェリークはそう思って目元を押さえた。
 今朝顔を洗った時は、何とか誤魔化せると思ったのに。
「……わかっちゃった?」
「当たり前でしょ? どんな小さな事だって、アナタの事なら判るよ」
 自信気に、だがとても優しそうに言うレイチェルにアンジェリークは小さく俯く。
「レイチェル……ごめんね」
「いいよ、謝らなくたって。で、どうしたの? ワタシが聞いてもいい事?」
「うん……あのね…――」





 一面の緑の野原を渡る風が、青い空へ吹き抜けていく。
「ここが……『約束の地』…」
 栗色の髪を風に靡かせた少女――アンジェリークが、この地を訪れた。


 先程、アンジェリークが彼――アリオスの夢を見た事をレイチェルに話すと。
「ねぇ、アンジェ。今日はちょっと、ひとりでゆっくりしてみたら?」
 と、彼女はそう提案してきたのだ。
「え…でも…」
「きっと疲れが溜まってるんだよ。アナタはどんなに辛くても頑張っちゃう人だけど、やっぱりたまには休まなくちゃ。見てるワタシも辛いし……ね、今日いい天気だし、アルカディアをお散歩してきたらどう?」
「レイチェル…。ありがとう」
「そんなに改まんなくてもいいって! あ、そうだ。昨日アルカディアに新しい土地が出来たんだよ。『約束の地』って言うの。そこへでも行ってみたらいいんじゃない?」
「うん。じゃぁ、今日はちょっとお休みさせてもらうね」
「OK♪」


 ――というわけで、女王補佐官のお許しのもと、アンジェリークはアルカディアを散歩することになったのだ。
 この緑あふれる地には人影が見当たらない。
 朝歩いてきた『天使の広場』とは大違いだ。

 ただ、緑と花々が風にゆれていて、青い空が広がっているだけ――。

「……静かで、綺麗なところ…」
 アンジェリークは目の前に広がる景色を見渡してそう呟くと、緑の薫る風をいっぱいに受けて背伸びをする。
 そして木漏れ陽ゆれる大きな木立の下に、そっと腰を下ろした。
「………………」
 空を見上げるアンジェリークの耳には、風の音と小鳥の囀りだけが聴こえる。
「………………アリオス……!」
 ――ひとりになると、どうしても想い出してしまう、人。
 アンジェリークの碧い双眸からは知らない内に一滴の雫が零れる。
「…そういえば、アリオスともう一度逢えて……もう一度お別れしてしまった時の場所に似てるような気がする…」
 新宇宙に存在する、アリオスの魂が眠っていた場所。
 あの場所で、身の内に宿ってしまった『ふたつの宇宙の女王を狙う謎の黒い力』を自ら消し去ったアリオス――。

 ――やっと逢えたと思ったのに――。

 アリオスは黒い力と共に、空へ消えていった――。
「……アリオス……アリオス……ッ!!」
 そっと膝を抱えて、アンジェリークは木立の下で蹲る。
(ごめんね、アリオス…! また逢えたのに、私はまた助けられなかった…!)
 アンジェリークの脳裏に、消える瞬間のアリオスが想い出される。

『―――――』

 あの瞬間、彼はアンジェリークに何かを告げた。
 それが何と言った言葉だったのか、わからないけれど…。
「あの時…何て言ったの…? アリオス…逢いたい……逢いたいよ、アリオス…ッ!」
 ずっと宥めていた想いが心の奥からあふれ出して、アンジェリークの頬に涙となって零れ落ちる。
 そしてアンジェリークが、自分の身体を抱きしめた刻。

 ――野原の草を踏みしめる音がした。

「……!?」
 アンジェリークは段々と近づいてくるその音に、慌てて涙を拭う。
 そして急いで木立に身を隠して、誰だろうと見つからないように顔を覗かせた。
 すると――。
「……え……っ!?」
 アンジェリークは、一瞬目を疑った。

 ――紫を帯びた銀の髪を風に靡かせながら、ひとりの青年が歩いてくる。

 服装こそ違うが、あの髪をした人が『彼』以外にそう居るだろうか?
 青年がまだ自分に気づいていない様子に、アンジェリークはもう一度彼の姿を碧い双眸に映す。
「……やっぱり……やっぱり…!」
 青年がこちらを向く前に、アンジェリークは木立に身を隠して呟く。
 あの紫銀の髪、背の高さ、歩き方――やはり『彼』に間違いない。
「でも、どうして…!?」
 アンジェリークの頭の中がパニックを起こしかけた、次の瞬間。

「……おい、何やってんだ?」

 突然背後から低い声が聴こえた。
「えっ…!?」
 アンジェリークが驚いて後ろを振り返ると、いつの間にか、木立に寄り掛かり呆れたような顔をした彼が居た。
 アンジェリークは慌てて立ち上がる。
「あっ、あの、えっと…!」
「こっちが話しかけようとしたら急に隠れやがって。しかも訳のわからねぇことをブツブツ言って、変な奴だな」
 そう言った彼は――どうやらアンジェリークのことを知っているようでは、なかった。
「……あの、その…ごめんなさい」
 アンジェリークは彼のそんな様子に、悲しいような淋しいような複雑な気持ちになって――しゅんと俯いて謝ることしか出来なかった。
「あ? 何で謝るんだよ? 本当によくわかんねぇ奴」
 変な奴呼ばわりされたのに謝ってきたアンジェリークが余程おかしかったらしく、クッと笑みを漏らす彼。
(あ……)
 その笑顔を、アンジェリークはちゃんと憶えている。
(やっぱりアリオス……アリオスなんだ…!)
 絶対そうに違いないのに、アンジェリークを憶えていない――アリオス。
「おい、どうした?」
 俯いたままのアンジェリークをさすがに訝しく思ったアリオスが声をかける。
「……ううん、何でもないの。あの、あなたは、どうしてここに居るの?」
 危うく涙が零れてきそうだった目元を拭って、アンジェリークは訊ねた。
「ああ……実は俺、記憶が無ぇんだ。自分の名前も過去も――何も憶えちゃいない。
気がついたらここに居たって訳だ」
 参った、というようにアリオスは右手で前髪をかきあげる。
 その仕草さえも、彼だという確証をアンジェリークに与えた。
「…そうだったの……」
 あくまで普通に、「大変ね」と労るよう言ったつもりだった。
 彼にとって自分は初対面の人間なのだから。
 けれど、どうしても心が抑えられなくて、声が震えてしまっていた。
 それに気づいたアリオスが、アンジェリークを見やる。
 すると――。
「お、おい……何、泣いてんだよ」
 アンジェリークは抑えきれなくなった涙を、零していた。
「ご…ごめ……ごめんね、アリオス…私……あっ…!」
 涙声でそこまで言って、アンジェリークは口元を両手で押さえる。

「――アリオス?」

 つい、彼の名を呼んでしまったから――。
「それ…俺の名前か? 何で知ってるんだ? お前…」
 問いかけてくるアリオスに、アンジェリークはただ首を横に振って。
「ごめん……ごめんなさい…!」
 そして、ただ涙を零し、謝ることしか出来なかった。
「………泣いてばっかじゃ、わかんねぇだろうが」
 深く溜め息をついてぶっきらぼうに言うと、アリオスはアンジェリークを抱き寄せた。
(これじゃぁ、俺が泣かしてるみたいじゃねぇか)
 と、思ったからである。
 ――実際その通りだったりするが、記憶が無い今の彼には仕方のないことだ。
 けれど…。
(…前にもこいつに逢ったことがあった、か…?)
 既視感というものがアリオスの中に訪れる。
 以前にも、こんな栗色の髪をした少女が、その海のような碧い瞳から涙を零していたような――。
 そんな光景が朧がかった月のように、薄らと浮かんでくる。
 ずっとずっと昔の――――遠い記憶。
「……なぁ、お前が何で俺の名前を知ってるのか気になるところだが…まず、お前の名前を聞かせてくれ」
 このままこうしてても埒が明かないと思ったアリオスは、泣いてばかりのアンジェリークをそっと放し、訊ねた。
「…うん。私の名前は、アンジェリークよ」
「――アンジェリーク…――!?」

 その『名前』が、アリオスの閉ざされた記憶の扉を開く『鍵』だった。

「くっ…! あっ…!」
 次の瞬間、アリオスを激しい頭痛が襲う。
 頭の中の今まで無色透明だった場所に、たくさんの彩りが――還ってくる。
「アリオス!? アリオス、どうしたの!?」
 声が、聴こえる。
 記憶が――あふれ出す――。
「アリオス? ねぇ、大丈夫?」
 心配そうに覗き込んでくる少女を、アリオスはようやく想い出せた。

 癖のない栗色の髪。
 よく涙を零す碧い瞳。
 弱いくせに強い、心。
 優しく包み込んでくれた、翼。
 ――白い翼の記憶――。

「アリオス…?」
 長身の身体を屈み込ませたままのアリオスに、アンジェリークはどうしてあげればいいか解らなくて……そっと手を伸ばす。
 と、その途端に――彼の大きな手に掴まれ、引き寄せられる。
「きゃ…!?」
 そして気がついたらアリオスの腕の中に、居た。
「あっ、アリオス…??」
 突然のことに驚いて瞬きするアンジェリークの双眸から、溜まっていた涙が零れ落ちる。
 するとそれを見たアリオスが、彼らしく微笑んで。
「……ったく、相変わらず泣き虫のまんまだな。アンジェリーク」
 彼らしい皮肉っぽい口調で、言った。
「え……アリオス…?」
 信じられないというように、アンジェリークの瞳が大きく見開かれる。
「思い…出して……くれたの…?」
 倒れ込んだ彼の胸元から顔を上げられないまま小さく、アンジェリークは訊ねた。
「……ああ」

 その答えが返って来た刻、アンジェリークの瞳の海から再び波があふれ出す。

「あ……アリオスッ!!」
 何もかもが弾けたように感じて、アンジェリークはアリオスに抱きついた。
 そして、強く強くしがみつく。
「ほんと…本当に…? 思い出してくれたの?」
「…ああ」
「私のことも? 自分のことも?」
「…ああ」
「これからは……一緒に居てくれる…?」
「……ああ。約束だからな」
「アリオス……!」
 今はただ嬉しい気持ちだけで涙を零すアンジェリークは、アリオスの胸に顔を埋める。
「アンジェリーク……!」
 そんなアンジェリークを、アリオスは今までの『想い』全部で抱きしめた――。



 ――――今、『約束の地』で果たされる邂逅の刻。
 遙かな運命と時を越えて。
 今度こそ、ふたりの『約束』を守るために――――。




                        end.







   《あとがき》
    水帆:アリオス創作、第一作目でございます! いやぁ…疲れましたね(笑)
  アリオス:おいこら。まずそれかよ。
    水帆:あぅ、いつもいつも貴重なご意見(ツッコミ)下さるアリオス先生。何か?
  アリオス:何なんだこの話は?
    水帆:何って……お気に召しませんか?;
  アリオス:召すわけねぇだろうが。大体このタイトル、『まりメラ』の影響だろう?
    水帆:おっしゃる通りです。丁度、まりメラにハマッてるので。
  アリオス:でもってお前、アンジェを泣かしゃいいと思ってんだろ? アンジェに限ったことじゃねぇ。
        どこの創作でもヒロイン泣かしてばっかりじゃねぇか。
    水帆:し、仕方ないんですよ、私が泣き虫だから;
  アリオス:んなの知ったことか。ヒロイン巻き込むんじゃねぇよ。
    水帆:うぅ…でも、この話は私のせいじゃないもん、アリオスのせいだもん!
        天レクに関しての悲劇はぜーんぶアリオスのせいじゃない!
  アリオス:言い逃れをするな、見苦しい。
    水帆:そっちこそ! ってまぁ不毛な争いはこれぐらいにして;
        このお話は『トロワ』でアリオスに逢えると判った時に思いつきました。
        悲しいと判ってたからやってなかった天レクのアリオスEDをクリアして
        トロワのEDもクリアして、思ったことを全部書きました。
  アリオス:おい、過ぎたことはもういい。次はもう少し明るい話書けよな。
    水帆:明るい……コレットちゃんが泣かなくてすむような、ってこと?
  アリオス:解ってるじゃねぇか。
    水帆:そうですね。たまには、ほのぼの幸せ〜なお話書きたいです。頑張りますっ!!
  アリオス:期待していいものか、大いに疑問だな。
    水帆:くすん…;

                                    written by 羽柴水帆



                           

  ――――ずっと信じていた。ずっと信じていたかった。
あなたと、あなたのすべてを信じ、守り、救いたかった――――。
果たすべき邂逅、守るべき約束