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◎片葉の芦 直江津市五智国分寺、天台宗国分寺
親鸞聖人が居多神社に詣で「わが念願を守りて、その奇端をあらわし給え」と祈願をこめたところ、不思議にも、境内の鏡ケ池に生えていた芦が一夜のうちに片葉となったと伝えられている。
◎焼鮒 西蒲原郡黒崎村山田、田代家
親鸞聖人が建暦元年(1211年)に赦免を受け鳥屋野の草庵(蒲原浄光寺または北山浄光寺)出られるときに信徒と別離の宴を催された。この際に信徒から献上された焼鮒を聖人が山王神社の境内に放された。不思議にもこの鮒が生き返って泳ぎ出したと伝えられている。それ以来、この付近の鮒には焼いたあとが残っている。また、寛政8年(1796)境内の大榎の枝が折れたとき、この折れ口に、聖人のお姿と焼鮒の形が現れたので、里人はこれを山王神社の神官、田代家に安置して聖人を偲ぶよすがとした。これは585年もたった後の出来事である。
◎逆さ竹 新潟市鳥屋野、真宗東派、西方寺(天然記念物指定大正 11.10.12)
聖人が鳥屋野の里で布教につとめられたとき、持っておられた紫竹の杖を地に挿し仏縁を説かれたところ、不思議にも、この枯竹より芽を生じ、しかも逆さに枝葉が出て繁茂し立派な竹薮になったと伝えられている。この竹藪は天然記念物に指定されている。
◎繋ぎ榧 南蒲原郡田上町、真宗東派、了玄寺。(天然記念物指定大正 11.10.12)
聖人が護摩堂山の城主・宮崎但馬の守に招かれて法話をしたとき、城主が榧の実を献じた。この榧に実は実は農民が年貢米の代わりに糸で繋いで納めたもので、一粒ごとに繋いだ穴の跡がある。その一粒を地に植えて仏縁を説かれたところ、不思議にも芽を出し、実を結んだと云われている。しかもその実には一粒ごとに繋いだ穴が残っており、また一枝の葉が表向きと裏向きのものが、互い違いになっているのが見られる。この榧の木は、およそ五百年前、護摩堂山の城跡からここに移植したという。天然記念物に指定されている。
◎八房の梅
北蒲原郡京ヶ瀬村小島、浄土真宗本願寺派、梅護寺
「正統伝」には、八房山善照寺とある。聖人が各地を行脚し、小島の里に草庵を結ばれ滞留された。「正統伝」は、「農家で食事をされたとき、松の枝を削った箸と、塩梅を膳にそえて出された。聖人は食され、その箸を地に挿し、梅の種を土に埋め、念仏のありがたさを説かれたところ、不思議にも、箸は芽を生じて八葉の松となり、梅は英八花に咲いて(八重咲き)鉢顆(つぶ)の実を結んだという」。(花一つに八つの実を結ぶ)。梅護寺には、八房の梅だけが草庵の跡という場所に残っている。
◎数珠掛け桜
北蒲原郡京ヶ瀬村小島、浄土真宗本願寺派、梅護寺
あるとき、小島村左五助の家に宿られ、翌朝、出立てのみぎり手に持った数珠を、往還の桜にかけ、仏縁を説かれ、阿弥陀仏の教えに偽りがなければ、大いなる英数珠の如くなるであろうといわれた。不思議にも、毎年数珠の房のように、花房が長々と垂れ下がって咲くようになつたと云われている。この桜は珍しい桜であるとして、昭和2年に天然記念物の指定を受けている。
◎三度栗 北蒲原郡安田村保田浄土真宗本願寺派、
聖人が保田の里を布教に巡られたとき、信徒のささげた焼栗を蒔いて「焼栗は、枝根の生ずる理なし、されど曉土育成の功によれば、再び花を開き実を結ばざることなきしにもあらず。よくこの意を了解せよと化導された。」ところが、不思議にも芽を生じ繁茂し、その上一年に三度実り、また一枚の葉の先が二枚に分かれて成長したといわれている。当時の木は枯れてしまったが、若木が育ち、今でも永遠の不思議を包んで一年に三度実をつけるという。
注 伝説は伝えられるうちに、変ってくる場合もあります。上記記載は長野市篠ノ井塩崎にある白鳥山報恩院康樂寺住職海野浄雄住師の書かれた「康樂寺」より抜粋したものです。康樂寺は西仏坊創立の寺です。親鸞が承元元年(1207年)越後に流罪となり、建暦元年(1211年)11月17日に流罪赦免の恩恵にあいます。このとき越後に西仏坊と蓮位坊が京都より迎えに上がりその後同行し親鸞と密接な関係がありました。(教行信証・親鸞伝絵より、また高田開山聖人正統伝では流されたときから同行していたとの記載もあります)西仏坊は幼名海野幸長で進士倉人道広、最乗房進救得業、木曾注記太夫坊覚明、円通院浄覚 、信濃前司行長、信濃の入道、行長入道、行仏、角間の蔵人、木曽大夫房覚明円通院浄寛西仏坊とたくさんの名前を持っています。また、平家物語の作者の可能性もあるようです。